さて、運、というのはそもそもなにかといいますと、
その方の持っている様々な運命を振るわせるための要因です。
その方が相手と結ばれる運命というものを「もっていた」としても、
その運命が振るわされなければ、運命がアクティブに活性化されなければ、
ただ「持っている」だけです。発現しません。
晩婚の方は晩婚の運命、なのではなく、結ばれる運命がアクティブになるのが遅いか、
他のアクティブになった運命を消化しなければ、その結ばれる運命がアクティブになるまで至らないこともあります。
また、人の運命というのは本当に無数あります。
無数の糸が自分の中にあるようなもので、そこに運、という要因が活性化させることで、のそりとなにかが人生において発現していくようなものです。
運命の中には、それこそ事故にあうようなもの、人とぶつかり合うようなもの、あまり歓迎したくないものから、
投資に手を出したくなったり、なにかの習い事を突然したくなったり、
突然料理や手仕事をしたくなったり、なにかにこだわりたくなったり、
たくさんの運命があります。
そして、その運命は人から人に伝播していくようなものです。
ネットや、テレビなどをみて、自分もまたこれをしてみたい、これがいい、と移っていくものもあります。
それだけ人というのは自分の中にたくさんの運命を求めており、
ストックし、抱え込んでいるものです。
かかえこんでいる糸に、運たる要因がぶつかって、発現するとしたら
たくさんの運命があれば、それだけ
ダメ運命が要因によって震わされる可能性も高くなります。
運命をたくさん持っている方がいくら運を取り込んでも、
それこそ人生のイベントが増えるだけです。あれやこれややりたくなって
振り回されて、ああでもない、こうでもないといろんなことに手を出したり、
いろんな運命が発現して、ともすればいやなこともいいことも同時多発します。
また、せっかく因子であるところの運がきたとしても、
人というのはその運をすぐ快楽に使ってしまいます。
なにか成し遂げたり、頑張って達成しなければならないことよりも、そのときそのときに得られるちょっとした快楽をもとめて、人は運気を消費します。
こちらもご覧ください。
妄想癖について
恋人がほしい、と恋愛運を上げようとしても、運がよくなることをしても、
いい人に巡り合えないかな、婚活したらこうかもしれない、今日会う人はどうかな、など妄想して、その快楽を授受することで、
運が消費されます。
欲しい、けれども妄想したり意識しない、というのは大変訓練、制御のいるものですが、
そもそも妄想しなくなれば、いいわけです。
妄想「へき」とはよくいったもので、
妄想というのは自分の中に壁をつくって、その壁の中でモノガタリやストーリーが流れます。
勝手に登場人物が動くがごとく、妄想します。
誰かをやり込めたり、誰かに弁解したり、自分が主人公のようだったり
将来が独りかもとか、このさきこうなるかもしれない、こうなるとしたら…と将来を妄想するとき、
現実世界と壁を作ります。
現実世界を無視をして、妄想するとき、大体頭の前頭葉部分で繰り広げられますから、このあたりがもやもやしたりじんじんするものを感じるかもしれません。
運気の器の拡張というのは、
その中からいくつか対価に乗った分、
震わされてはまずい運命をはずしていったり、
本人の中にある、悪意、悪魔、役、妄執、道理、妄想癖そういうものをはずして
すっと人生が回るようにしていくのをメイン軸にし、
拡張していきます。
一度の拡張で、対価でできる分、拡張、あるいははずしていくことをいたしますが、
数回依頼いただくことで、よりスムーズになっていきます。
人によっては3~4回ほど同じ施術可能ですので、
一度なされて、もう少し、と思った場合は再度ご依頼ご検討ください。