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指すの神子の社

妖怪と妖精の違い。

いつもご覧いただきましてありがとうございます。

つまるところ、妖精と妖怪というのはどう違うのか、転化するとどうなるのか、についてもう少し説明いたします。

妖怪が憑依すると

・自分自身がなにかにとらわれていて、こうしなきゃ、ああしなきゃ、という役を付けられたり、こだわったりする。自分自身をその役に絡めて尽くしてしまい、消耗してしまう。

これを倒して降して、こちらで名前を付けて妖精にすると

・自分が望む役を付ける、自分が望んだ役をつくるように転化する。人の役にたつ、というのが妖精の命題なので、役にたつように人を役立たせる。

ように動いてくれます。

就職支援にも使えますが、それだけに特化したものではありません。
仕事や、生活において、自分自身によってや、家族、回りによって役を付けられて、それをはたさなきゃ、こうしなきゃ、
男たるものこうしなければ、親だからこうしなければ、人を助けなければ、新人をサポートしなければ、かわいがらなければ。
スピリチュアル系であれば、人を救わなければ、自分がお金とるなんてできない、無料でヒーリングしなければ、と人は
駆り立てられるものがなぜかそこには、人の中にはあるわけです。
そして得てしてそれは、迷いや苦しみ、怒りが生じます。

なんでも裏表があります。
こういう企業に入って年収いくらでこういう生活するのが幸せだ。とそこに固執していたら
そうでなければ全く幸せでない、と苦しむでしょう。
年収1000万あって、港区のマンションに住んだからといって、自分はそうじゃなくって、もっと貧乏でも家族中がよいのが幸せだとおもえば、そうでない今は幸せではなくなります。

痩せなきゃ、親のいうような、教師のいうような、いい会社に入っていい就職しなければ、というのも
本来の本人のやりたいこととは違うのに、それと気づかず駆り立てられて、そこに尽くしてしまい、尽くしきったあとに「なにをしてるんだろう」とむなしくなるわけです。

それを外して、自分の心のままに、役に立ちたい、こうなっていきたい、という望みにたいして、
その望みにあたる役を自分に着けていくものです。
妖精というのは「人の役にたって、次の道ができるもの」ですから、人の役に立てることをサポートするわけです。役立つ、というのが妖精の目的です。
その方がこうでなきゃ、という妄執をはずして、自分はこうなっていきたい、というところに役をつけていくわけです。その人を役立たせる、というために働くものです。

妖精でも妖怪でもそうですが、根源は同じです。
人に役を付けるというのは同じです。
それを本人が望んでいないのにつけるものと、望んでいるものにつくるものです。
妖怪は憑依しますが、妖精は憑依しません。
憑依すれば気を枯らします。悪魔・霊・妖怪は憑依し、そのものの気を枯らします。

もう一つ極端な例をあげましょう。
結婚したい女性がいたとして、もう妄執になっている。
年収いくらでこうじゃないと幸せじゃない、なんで結婚できないんだ、結婚している人間が妬ましくてしかたない。
この妄執をはずすと、その妖怪がついていたじっとり感、おもっくるしさが抜けます。

尽くしている人間、会社に尽くして消耗している人間というのは見てわかるくらいに陰の気がつよく、近寄りがたいものがあるでしょう。

あんなにこだわっていて、結婚しなきゃしあわせでないやと思っていたのが薄くなり、本人もすこし軽くなります。
そのうえで、本当に望んでいたのは子供を抱く、母の役がほしかっただけ、というところが本人の心の望みとしてあるのであれば、
年収云々、他の人の目とかどうでもよくなって、ただ自分を母親にさせてくれる、そういうひとに出会いたいと望むようになっていき、
そういう希望でうごいていけばやがて望みも果たせます。

何が何でも当初の希望、年収云々の人のうらやむ男性と結婚して縁を結ぶ、というものではありません。
この就職先になにがなんでもつなぐ、といったものではありません。
このどうしても好いて、このひとでなければ幸せじゃない!とう人とつなぐものではありません。

人というのは~~が幸せ!とおもうと、それ以外を幸せじゃないと定義してしまう。
幸せというのはその人生の半ば半ばで変わるものなのに、それを第一目的のようにし、それ以外に失望してしまう。

医者にならないといけないんだ、子供をいい大学にいれないといけない、そのために自分は尽くすわ!というのは、もう妄執でしょう。

子供は親を投身するためのものではありません。自分がこういうことで苦労したから、させたくないというあまりに、子に投身してしまい、子が育って離れていけば親は尽くしたあまりに抜け殻になってしまう。あるいはまだ子の人生に関与して、さらに尽くそうとし、尽くした分また尽くしてほしいと回収しようとし、「なんでこんなに尽くしたのによくしてくれないの」と恨みに変わります。

縁結びの祈願でもなんでもそうですが、神さまがたも共鳴をつかいます(正確には少し異なりますが)
双方共鳴がおこることで、相性がつき、相性が付くからこそ、あいてが記憶に引っかかるのです。
そこに好きも嫌いも関係ありません。
相手が記憶に引っかからなければ、意識に浮上しなければ、なにもはじまらない。
相手がひっかかるからこそ、気になったり、気にしたりする。

おんなじように並べられているリンゴの中でも、なんとなく気になって手に取るリンゴと、意識にもひっかからないリンゴがあるでしょう?
同じような人の中でも何となくその人がきになる。これが共鳴です。共鳴がおこると、相手の中の情報が無意識にこちらに流れてきます。
そこでそのリンゴやその人をよく見てみて、ああおいしそうだね、ああ、いいひとだね、予算とあうね、と思えば購入であり採用であり、カップル成立です。
気にならない、ひっかからない、といえばもう最初の時点でふるい落とされます。はしにも棒にもひっかからなければ、スタートラインにもたてません。

そのスタートラインに立つ、共鳴をおこすのが神様のなさる縁結びの原理です。
気になって、手に取ってもらう。
そこから先は自分自身の問題です。
提供できるものや、スキルがなければ、おいしくないリンゴっぽければ購入にいたらない。相手が求めているものを全く持っていなければ、ひっかかってもそこで終わりです。

運がそこでよければさらにひっかかる確率もあがります。
妖精さんがいれば、さらにそこで共鳴を通じ、相手の中にこちらの情報を送り込みます。信頼感を本人や相手に渡すなどして、この人は信頼できるひとですよと役をつけようとします。

つまるところ相性の付いた相手に、相性通じて自分をアピールしてくれる存在のようなものです。
信頼感というのは大事なファクターです。
この人に仕事を任せられる、家庭を任せられる、とならないと役などつきませんから。

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