運命は神さまがつくっているものではない

投稿者: | 2018年11月22日

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これを聞いたときにはすこし衝撃が走ったものですがおおよそ人の運命たるもの、神さまがつくっているのではないそうです。

魂は、その前世やらなにやらの行い、それと生まれる際に前の世の悔いや、この世でこのような学びをして前に進みたいという台帳などの要因を受け、生まれてくる場所・生まれてくる両親と「あいしょう」がつきます。

生まれ出る魂の中で、この両親と「あいしょう」がつく子供の魂が下りてきます。子供は受精することによってこの世に器ができ、引っ張られます。そして器がそこそこできた段階で宿ります。受精はいわゆる魂を呼ぶ儀式のようなものであり、この世にでてくる魂のための器を用意することですから、受精して、細胞が分裂し、器を作るまでは魂というのは降りてきません。器と魂、その魂をおろしてくる信仰する神様、家をずっと守護してくれている神様のガイドあってのことですから、子供ができるというのはまさに「授かりもの」なわけです。

それはさておき、運命というのは「あいしょう」と「共鳴」です。これは何度も申し上げたとおりです。

人は「あいしょう」によって親と巡り合わされ、親が子供のうちは子に親の「あいしょう」を付けます。子供のうちは自分で選んだり選択したりしないでしょう。親が子のためにいろんなものと合わせてきますし、それが自分の原体験になります。

それら「あいしょう」のあるものに人は影響を受けます。幼稚園でも、その土地でも、親族でも親でもです。あるいは小さいときすごく大好きだったアニメかもしれません。それらと「合生」するわけです。影響をうけ、共鳴し、その人の思考にも莫大に影響を与えます。

そして生きているうちに傷がたくさんつきます。一番好きな子に振られた、嘘をついてひどい目にあった、先輩にいじめられてやりたくもない部活にはいった、受験に失敗した、やりたいとおもったことが親の反対にあってできなかった、傷は様々ですが、記憶に鮮明に残っている過去、それがすべて傷です。

傷によって、人は「瑕疵」が生まれます。瑕疵により、それをしないように、それを避けるように無意識で進みますし、同じ傷を持った者同士で共鳴し、「あいしょう」がつき、傷をあわせていきます。その傷によって共鳴します。

わかりやすいのは歌や演劇や、創作物ですね。心に傷がたくさんあれば、その傷とおなじようなものを持つ作品に深く揺さぶられます。失恋の痛手が大きければ失恋ソングを。自分がつらく句苦しいとおもえばつらく苦しい話を。心の中にあるものとおなじものに共鳴します。

過去の傷によって、共鳴し、あいしょうがついていく。傷が増えれば増えるほど、同じく傷もつものとあいしょうがついていく。傷つかないように、これは嫌だ、これだと傷つくと思い、いろいろなものを迂回していくうちに、どんどん道はすくなくなってきます。そして同じものどうしあいしょうがつき、あいしょう、共鳴、その運命がついていくぶん重くなっていくのです。

心に傷があるのであれば、それを天に外してもらいたいと思うのであれば、先にその傷をつくった要因をすべて外し、顔向けできるようになってからなのだそうです。そうでないとまたおなじことで傷ついてしまう。

記憶にのこるもの、ひっかかり、傷とおもってひっかかること、それらすべてが自分の「あいしょう」と「共鳴」をひきよせます。

神さまがつくる運命は「進化する」ことだけです。進化するための運命は天がつくります。同じ思考を繰り返すでなく、不必要なものは捨て、進んでいくこと、そこだけが神様がつくるものです。それをきちんと押さえておくことで、次に神社にいったときなにをお願いするか、変わってくるでしょう。

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