不完全だからこそ、いまやるべき

投稿者: | 2018年11月14日

いつもご覧いただきましてありがとうございます。

先日の記事でも書きましたが、人というのは「進化したい」というのが根底にあります。たとえいまの世で進化できない魂だとしても、進化したい、というのが根底にあるからこそ、同じく進化途中のものにどうしようもなく共鳴するのです。

ドラマでも、漫画でも、創作物でも、人でもかまいません。進化している、これから伸びていくものに人は共感し、共鳴し、ともに上がりたい、行きたいと思う。一方で、完成されすぎたものは、美しいな、と感動しても、それ以上はありません、心を揺さぶりつづけ、ともにありたいと思うのは発展途上のものです。

よく「自分はまだまだだから、世の中に作品なんてだせない。」「もうすこし完成してから」「ちょっとあらがめだつし、人にだせるものではない」という方がいらっしゃいます。自営の道を志し、やっていこうと思うのに、まだまだだ、完成されていないと世の中に出していかない。

完成していないものだからこそ、人はまた見たいと思うのです。

完成していないからこそ、人は共感し、自分自身を奮い立たせ、よくもわるくも評価されるのです。

完璧すぎるものは批判もありませんが、よくできているね、すごいね、で終わります。不完全なものは不完全、というのだけで人を引き付けるのです。なぜならば人は不完全な存在だからです。

憎しみがあり、怒りがあり、悲しみがあり、傷があり、苦しみがある。

だからこそ不完全であり、不完全なものに共鳴します。

もしあなたが作品を作るのであれば、不完全な自分自身をその作品に投身することです。

歌であれ、瑕疵であれ、物語であれ、自分自身を表現することです。

同じものを持っている人はそれをみてなにかしらひっかかります。

いくら上手で素晴らしい技術をもっていたとしても、共鳴しなければひっかかりません。

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