人は不完全だから不完全に共鳴する

投稿者: | 2018年11月9日

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人の運命は相性(相生・合生)と共鳴がすべてです。

あいしょうによってその会社と一つになり、その会社と運命を共にします。その会社とひきあうということは、それが自分自身のあいしょうだからです。

あいしょうは、親から引き継ぎます。本来人は天からたくさんのものをいただいておりますが、天からいただくあいしょうを忘れ、親からだけのあいしょうを引き継ぎ、親と似たようなものに惹かれていきます。相手や人、会社、学校、モノ、すべてとひきあって一つになって、運命になります。

もう一つ、共鳴についてですが、共鳴というのはなにか相手とあいしょうによって引き合うのではなく、一人の身の内だけにおこることです。

その相手とは運命でひきあうものではありませんが、相手と共鳴し、相手によって負が引き出されたり、やりたいことが引き出されたり、自分の中で相手にかかわることによって共鳴がおこります。

クレーマーや怒っている人と話していたら自分もつられてむかむかしてしまった。

相手が野心をもっていたら自分も同じくトップをとろうと思ってしまった。

絵がうまい人をみて、どうしようもなく自分もかかなきゃ、と駆り立てられてしまった。

相手のHPをみて、自分もおなじことができるかもとおもってしまった。

相手のネガティブなエネルギーを受けてしまった…

様々な場で共鳴が起こります。

憑依は人をもとめることでも起こりますが、相手の何かによって自分の何かが引き出される、なにかがつく、移動する、「共鳴」とは天はうまいことを言うなあと思いました。

きわめて通俗的な説明としては、ある物体Aの振動エネルギーが、別の物体Bに移る現象だとしてもよい(wikipediaより)。まさにその通りでしょう。

人がなぜ他人に共鳴するのか、今日天にお話しを伺いました。

ならばそもそも他人や他者、他の物になぜ共鳴するかです。

人は根本的には進化したいと思っている生き物です。進化する運命になくても、進化したいと思う存在です。
共鳴もまた、進化したいという想いから生じたものです。
共鳴は、進化途中の存在同士で起こります。

完成された人、完成された芸術、完成された作品。完成したものには、人は感動は覚えますが共鳴しません。
同じくまだまだだな、ぜんぜん人としてできていない、という人に共鳴を感じるのです。

無意識に、意識的に相手が未完で進化途中だと思い、自分もまた進化したいので共鳴します。
共鳴することで、自分の未熟さであるとか、自分のいたらなさを思い、完成に近づこうとする本能のようなものです。

iphoneもそうですね。
はじめてでたときには画期的だけれども、まだまだ改良の余地があり、そのアイディアもジョブズの中にあり、
人はその不完全さ、機能、のびしろ、それふくめて進化途中のものに熱狂しました。
これが時代を経て、ほぼ完成品と人の意識がおもってしまったら、もう伸びしろがないなとおもったら
いくら素晴らしいものでも共鳴しません。

サグラダファミリアしかり、ミロのビーナスしかり、不完全のものというのは
その物自体がひとと不完全な進化途中のものと共鳴し、なんとも魅力的にひきつけられるでしょう。

ものですら不完全なものに共鳴します。
で、あれば人もまた同じ真理です。

だからこそ、上記真理を知り、「その相手はもうこれでよいのだ、これがその人自身なのだ。これがその人なんだ」と
相手そのものを認めることができれば、
相手と共鳴しなくなるのです。
相手と同一に共鳴せずにすみます。

相手を認めるという心を自分の中に真理を知り、満たすことによって、
共鳴がおこりにくくなるというわけです。

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