求めることと執着と夫婦と

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さて、今回様々なテーマで自分自身学ばせていただいておりますが、先だって、「人は親から離れ、一人になり、夫婦となって親となる」のが道理だというお話しをいたしました。

親から離れず、顔つけて魂一つにならず、欲つけて本来の相手ではないものと夫婦になったり、その上でお子様をさずかれば、どこかで歪みが生じます。

それは夫婦の不和で現れたり、子供で手がかかったり、親の干渉などで大変になったりするわけです。それら起こったものを修正していくのは大変です。しかも、夫婦でやらなければいけない。因縁切るというのはまず夫婦ありき、というところ何度も申し上げたと思います。

なぜ夫婦で一緒にしなければならないかといいますと、夫婦というのは運命一つにするものです。たとえ心が離れていたとしても一旦情交わして将来を誓った段階で、夫婦縁というのができてしまいます。これが何人もそういった相手がいた場合は、相手の数だけ、運命ができてしまっておりますから、リソースの回収をしなければなりません。

さて、もし片方だけが魂を軽くして、因縁を解消しようとしたらどうなるかについて、先日やっとお答えいただきました。どちらかがせっせと因縁解消して、己の内側をみて、悪魔祓って…としていくと、ある一定のところで強制的に配偶者と同じところまで魂の品が堕ちるペナルティが課せられます。

一つは、一気に悪魔や妖怪がついたり、突然なにかしらが魂についたり、「やったら因縁つむこと」に自然に導かれてしまいます。せっかく魂の品あげたというのに、同じに落ちてしまうわけです。ああ、ここまでやったのに、というところでどん、とトラブルが起きたりするでしょう。そして、徳を積んでも無駄だった、としょげてまた同じ位置に戻ってしまう。そういうものです。だから因縁きったり、悪意祓ったり、そういうのは二人でやりましょうね、ということです。離婚しらければその限りではありません。

上がるのも、下がるのも、喜びも悲しみも、苦難も夫婦は同じだけ、です。自分だけが重いのではなく、違う形で相手も苦しんでいる、ということでしょう。出方は違っても、重さは同じ、というものです。

ちなみにこの妖怪つくとイライラしてどうしようもならなくなったりしました。実際わたくしのお話しですけれども。そこで、「なんでここまで自分を祓っていったのに落ちなきゃいけない?それならどうすれば旦那を軽くできる?」と焦りや悩みを感じ、ふっと気が付くのです。

おかしいな、なんでこんなことでイライラしているのだろう、夫婦でやっていこう、自分たちの望みのために、しんどいとかつらいとかそういうのなく、楽しく楽にいきていきたい、それが目的なのに、なぜ自分はあがることに執着したのだろう。と。

目的と手段がいれかわることは、ままあります。そして、執着というのは苦しいのです。

求めることは、苦しくありません。望み、こうなりたいと願ってすすむことは苦しみはありません。

ただ、どこかでその「望むこと」が執着になるのです。執着になれば、それを妨げるものにイライラします。幸せを望んでいるのに、それがうまくいかないとイライラしたり不安にあり、焦燥感に襲われます。ともすると恐怖になるでしょう。

求め、だけれども手放せる、得るために精進していく、努力していく。それは素晴らしいことですし、あるべき姿ですが、いつのまにかそれが苦しみになっていたとしたらそれは執着です。一度、その執着手放して祓いましょう。ただ苦しいだけです。ともするとやめたくなるほど、焦るほど、苦しくなるだけです。

執着と対抗心は嫉妬になります。どんどん重くなっていきます。同じ境遇の人を探したり、よくないニュースをみて溜飲をさげたり、焦ったりします。ただただおちていくだけです。

恋愛も、仕事も、なにかしらの目標も、それは求めて、邁進しているだけですか。それとも執着の苦しみになっていますか。いつのまにか苦しみに置き換わっていないか、今一度振り返ってみてください。

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