顔のおはなし、続き。

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連続でお顔のお話しです。いまのテーマですので、じっくり掘り下げていこうと思います。

人が自分のなかに自分以外の人格たる「かお」を作り出すのはどんなときでしょうか。生まれたばかりの赤子にはそんなものはありません。魂に傷などありません。ですが、小さい子の魂や意識というのは非常に柔軟性があります。親や、周囲にあわせて、顔を作り出すなど簡単なことです。

自分をかわいがってもらうため、あるいは自分が傷つかないようにつくるのです。好かれる自分、可愛がられる自分、理不尽なものにも耐えれるように、修行僧のような、言い方はおかしいけれどもドMな自分。

そういうものを作り出します。モードを変えてその場その場をのりきるべく、つくります。霊も悪魔もそういった人格たる顔に一つ一つ憑依します。依り代になります。

また、常に自分の素の顔をいらないと、捨てたいとおもい、他のお顔を出し続けてきたらどうでしょう。

親に好かれよう、まわりに合わせよう、人と争わないように可愛がられようとばかり、そういった逃げや逃避から、他の顔をつけて生きてきたらどうなるか。

自分の素の顔がなくなります。

「自分がなにを考えているのか、どうしたいのかわからない」

「自分で考えると真っ白になってわからない」

それは当然です。他の顔にそれらを任せてきたからです。そうなると自分のもとの顔は小さく、小さくなります。

顔はずしていくとよくわかります。「自分はなにもしてなかった」「自分を持っている人間がなんでうらやましいのか」

それは素のお顔がずっと小さく、いらないもの扱いされていたからです。

親に虐げられていた方や、親から愛情をもらわなかった方はこの傾向が強いのです。自分自身を抑圧するかわりに、その場限りのお顔ばかりつけて、自分のお顔を封印なさってる。あるいは消し去ってしまってる。

ある程度お顔はずしていったら、次は自分の本当のお顔を取り戻すこと。

そのお顔取り戻す前にまあ、もう一つ大きなもの払わないといけないですが、それはまた別のお話で。

 

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