たくさんのお顔を持つ人間

投稿者: | 2018年9月23日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

最近ブログをみてくださる方も増えておりますので、改めて申し上げます。こちらのブログはある意味、因縁や、人が背負っている様々な罪穢れについて切っていった、祓っていった、学んでいった足跡でもあります。学んだこと、教えていただいたこと、理解したこと、それらを備忘録がてら記載しております。

人は、いきている中、なぜ自分がそう思考しているのか、なぜそう不幸、不具合があるのかわかりません。

そして、天の声を聴いたからと言って、その不具合すべてがまるっと解消されることはありません。なぜならば一つの表にでた事象というのはその事象の前に様々な因果因縁があるからです。そして、その階層は多重にあり、どんなに神様のお声を聴けても、その表層、一つ一つはらっていき、気づいていき、それがなにに起因するかしっかりと悟るまで、そして悟ったことを自分で祓っていかなくては次の段階にすすめません。

わたくしもそうですが、理解したこと、自分が悟り、祓いをしたレベルのことしかわからず、因縁も紐解けませんし、教えてくださいません。神さまも、そのいわゆる行の深度に応じて、次の課題を示してくださる。生きている間すべてその行だとおもっておりますし、そこで学んだこと、祓いを終えたこと、それによってできることをここに記しているものでもあります。

神さまはひとよりもはるか先に進んだ方ではありますが、それを受け取るわたくしたち人間はまだまだ幼稚園児のようなもの。いまそのレベルのものを理解していかなければ次のレベルのことにはすすめず、それが終わればその次のレベルの段階の祓いに入ります。どこまで祓えば何ができるか、それをいますこしずつつかんではおりますが、手探りでもあります。

悪意、悪魔、親からついたもの、前世の行いによって生まれてくることが決定される土地、国、妖怪、妖神、厄神、霊、それらの影響であったり、

いまでてきている学びとしては「顔」です。

人というのは生まれてからというもの、親や周囲によってさまざまな顔、すなわち役どころを自分自身でつくります。

親の仲裁役、親にあれは恥ずかしい、あれはだめだといわれたことから親の望む自分自身という役どころ。気の利いた顔、妻の顔、夫の顔、母の顔、仕事のためにつくった愛想のよい顔、サービス業の顔、人に対峙するための怖い役どころ、人を笑わせる道化の顔、無邪気で可愛がられるための顔。あまりにできるようだと目を付けられるからあえて詰まる、愚鈍であるかのような愚鈍な顔。姉の顔、妹の顔、かわいい子の顔、頼りになるしっかりものの顔。

自分自身の魂の他に、たくさんの役どころ、顔をつくっているのです。

そのシチュエーションで浮かないように、愛されるように、自分自身がその輪になじむように、構ってもらえるように、痛い目にあわないように、ネットや仲間上の都合のよいポジションでいるように、たくさんの顔を、それこそ物心のつかないうちから作り出すのだそうです。そうしないとうまく合わせられないから。

そうして、その張りぼての顔というのは自分の魂の中にあり、自分自身の本体と同居します。

顔のやっかいなところはあたかも依り代のごとく、そのはりぼての顔に霊や悪魔、妖怪が憑く場所になるのです。それらがつくと思考に干渉してきます。

なにか作業していても「そんなの無駄じゃない?」とささやいてきたり、ぼーっとしているとあたかも自分の思考のようによくない考えや、へんな考えが入ってきます。その都度「いやいや、そうじゃないでしょ」と脳内ででてきた思考にツッコミをいれたことはありませんか。それが肥大した顔、魂・意識内人格です。

これがあると、自分自身の思考ではなく、他の思考が入ることから、自分の力をフルに振るうことができません。自分自身の純粋な考えですすむことができません。信仰、すなわち神様についても疑いや、本当にいるの?そんなの無駄じゃないの。と入ってきます。自分では本来そうおもっていないのに、いろんなことが入ってきます。ふつうに暮らしていたらそれが当たり前だから、まさかそれが原因で悪魔や霊が取りつくなど考えもしないでしょう?わたくしもはじめて知りました。

イライラする悪意、それがつく依り代がある、それを理解してはずすまで、悪魔の存在に気が付いてからおおよそ一年半近くかかっています。その顔がつく原因となるとまたそれくらいかかるかもしれません。

不具合の大本までたどりつく、というのは容易なことではありません。もしかするとさらにその先があるかもしれません(おそらくあるでしょう)。

日々学びです。思考を止めてはいけない。アンテナは常に、常に自分の内側に原因があると対峙していかなくてはならないのでしょう。

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