お金と提供とその功罪

投稿者: | 2018年9月19日

いつもご覧いただきましてありがとうございます。今日はすこし固い話を。

さて、お金というのは証であることをかきました。

「提供する人」「求めるひと」これが合致し、約束が結ばれ、証としてお金が介在されます。

提供できるもの少なければ、求めるひとが少なければ約束は結びにくくなりますから、ご自身が提供できるものを増やしていかねば、証は増えません。お金が欲しい、もっと欲しいというのであれば、当然提供するものを増やしていくこと。それが第一になります。提供はものだけではありません。時間も労働もそうですし、その労働の価値を高めていく、なにぞ資格などとるなども当然その提供を増やしていくことになります。

なにも提供するものを増やさずに、約束を増やしたいといえども、求める人がいなければ当然約束は増えません。治まるべきところに収まるのです。

さて、そこにさらに踏み込み、投資のお話しをしましょう。給料がすくない、投資を…投資はどこにすればいいか、この株はもうかるか。よくご相談がありますが、基本的に投資は進めません。投資は人にまかせることです。人にまかせるということは、それだけのなにか対価を支払わなければなりません。

税、というものがあります。これもまた、同じ。国民が国に「何かをまかせている」から支払うのです。公共施設、公共的なサービス、老後、災害救助しかりなにしかり、人にゆだねているのですから、その分対価を払わなければなりません。国にまかせることが増えると税も増えます。災害があればそれを政府に任せれば当然増えるでしょう。国防も、介護も保育もなにもかも、「やってもらってる」「多くのひとたちが国にもっととゆだねてる」から増えるのです。

国になにもやってもらっていないという方もいますが、まったくなにもしてもらっていないということはないでしょう。あなたが通った道路も道も、整備されている。公費で予防接種されており、はしかで死ぬ子は減りました。生活保護含め、この国は比較的補償が手厚い。災害があれば自衛隊が支援にいき、除雪、防災、様々なものをしてもらっています。間接的にでも、当然だと思うことをしてもらっているわけです。

確かに国のなすことが全部正解というわけではありませんが、まかせるということはリスクが伴います。会社に属していてもそうでしょう、雇用されている、会社の庇護にはいるということは、自分自身で経営したり、営業方針をゆだねているわけでなく、会社に任せているのですから、当然その会社がしずめば沈みます。

任せるというのはそういうことです。なにか自分でできないことを何かだれかにしてもらうということは金銭だけでなく、なにかの対価を当然支払われます。何かに属すということは得られるものも大きいですが、リスクもある。リスク承知で属す、そして自分自身でできることはなしていく、提供していくものを増やしていく、というのがよいのだと思います。

さて、話がずれました。投資ですね。投資がなぜ、すすめないのか。大きな観点からみると罪になるのか。

そうですね、例えるならここに10人の村があります。

3人が米を作り、2人が野菜をつくり、1人が鳥を飼い、1人が漁をし、1人が家を建て、1人が長をしており、教育を担い、1人が医療をしているとしましょう。

米農家が一人、ためたお金でこれから投資をするわ!と米作りをやめました。

そうなると、いままで10人で十分賄っていた村で、米が足りなくなります。のこった人たちで米を作ったり、まかなうことをしていかなければならないでしょう。

さらに、野菜を作っていた人も物を作るのをやめ、投資でくらすといいだしました。そうなれば野菜も足りなくなります。

野菜がたりなくなれば、コメが足りなくなれば、物の値段は上がります。投資で生きていた人はもっと稼がなくてはならなくなる。あるいは近隣の村からコメを、野菜をかわなければならなくなります。

もともと米を作っている人はよいでしょうが、投資で生きてく人たちは当然もっと稼がなくてはならなくなります。あれがない、でも必要だとなったら高くても購入しなくてはならないでしょう。

お金の価値というのは不変ではない。おなじものを買うのにもこの間200円だった牛乳があれよあれよと250円です。

10人の村ならものがなくなったというのがわかりやすいですが、これが国、あるいは世界になったらどうでしょう。

物がない、なのにお金だけ増えている。お金があっても物がない。それがいまの実態でしょう。

太陽があればたくさんものが作れる、うみだせる。うみだせるのに、うみだしていない。

投資でいきる。お金でお金を生み出すという歪みをつくることは、物もないのに証を増やすことであり、提供するものを作らないのにお金をつくることにもなります。提供できるものがなければ、あるいはだれかに何かをゆだねることはリスクもあります。

リターンもあるでしょうが、リターンだけではないでしょう。あずけてリーマンショックのように株価がおちたことも記憶に新しい。

お金に不安があるのであれば、きちんと提供をしていくこと、それを続けていくことをなさってください。なんでもよいのです。時間でも、労働でも。そこから増やしていくのです。提供できることをどんどん増やしていくのです。それを意識して続けていくことです。

しかし任せるとなると対価が必要、任せないとすると覚悟が必要。人というのは大変なものです。三界に帰る家なしとはよくいったもの。

だからこそ、真理をしり、苦しむその心を外してくこと、祓うこと、知ること、悟ること、というのはとても大事なことなのでしょう。

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