傷あるものには干渉できない。

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

さて、前々回からの続き物になります。

わたくしのところにこられる方には、様々なところに属している方もいらっしゃり、数年数十年の行をなしたのに、どんどん悪くなっていくと訴えてこられます。一人二人ならとかく、結構な頻度でこられます。

天に願い、よくなる、よく回るかた。そうでない方、あまりに明暗分かれるために、なぜなのかということろ一つ本日お答えをいただきました。

「哀れであることは哀れであるが、我は傷あるものには干渉できぬ」

とのことでした。なるほど一つの真理なのでしょう。

祓ってはくれます。ただ、干渉できません。

傷をたくさんつけた方は、まず内側の築いた元、その悪意悪魔煩悩をきちんと清め、過去の不実や傷を祓い、流すことがまず先、つまりマイナス清算が先というのはこのブログでもさんざん申し上げていることではあります。

まったくもって無傷でなければ願いを聞いてくれないのか、ということではありません。傷つきすぎている、つまり魂が傷がたくさんあって

「自分で悲しんでいるのにそれを気づいておらず、自らの傷を見ないふりしている」「自分が傷ついてのに気づいていない」ものもまた同じです。

傷付いているから、つらい、だから助けてほしいと願うのでなく、まず己の傷を自覚し、己の罪穢れは認め、

認めて外したいと願わないものについては天も祓えません。

自分が正しい、自分はこうやってきたんだからといって、自分の内側の傷をみない、自分の煩悩をみなければ傷はそのままです。

煩悩悪意があればまたそれは相手を人を傷つけます。

人を傷つければ傷になります。

まず、先にマイナスの清算を。あなたの中にはなにがありますか。そして傷があるということはあるべきものもありません。なにがないですか。

とてつもない悲しみと喪失を、封じていませんか。

親兄弟、人に対しての憎しみや恨みがありませんか。

自分に対して死にたい、なんで生きているんだろうと呪っていませんか。

すごく傷ついた傷をむりやり忘れたり、覆い隠していませんか。

おのれを縛って拘束していませんか。こうでないといけない、幸せでないと縛っていませんか。

無理やりに自分に禁を課していませんか。

 

おのれの傷を省みてください。思い出して、苦しい、目を背けたい。心臓のあたりがくるしくなる。もやもやする。ともすると怒りになる。それが傷です。

因縁云々、悪意云々も大事ですが、傷もまた、大事なファクターです。悪意あれば干渉できぬとはおっしゃらなかった。つまるところ、傷です。

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