愛の反対

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

先日出雲詣でをした際に「愛の反対はなにぞわかるか?」と八重垣神社で問われました。「無関心ですか?」「憎しみですか?」と返すと

「愛の反対は尽くすことである。愛は無限であり、受け入れ、天からいただき、それを与える無限にものであるが、尽くせばそれ有限であり、己がなくなっていく」

と返答がありました。衝撃的でした。尽くすことが愛、のような風潮がありますし、人に尽くしたり、人のために、と人が己を尽くすことこれは愛の反対なのだそうです。

尽くすのは愛と真逆。深すぎて理解して咀嚼するのに時間がかかりました。いまでもその真意まではとれていないかもしれません。

尽くすことは、自分を削ることであり、削れたら回復するのに時間もかかります。徳も積まねば回復もなかなかままなりません。ですが、愛というのは天そのものであり、天から無謬にいただけるものです。無謬にいただけるのですから、尽きることがありません。

難しいものです。つかむまで、本質をつかむまで精進いたします。

2019/2  追記

真理を知ることで、ここで言われたことがだんだんと理解できるようになってきました。

カルマというのは人が自分の魂を「なおしていく」ために、人に見える形で悪いものが噴出してくることであり、ひどいこともあるでしょうが、魂をなおしていくために、人に気づきをあたえるためのシステムです。

人の罪、それはただ一つ「尽くす」ことです。だからこそ愛の反対は尽くすことです。

人は役にかりたてられ、仕事でも恋愛でも尽くします。不安や恐怖によって尽くして自分を失っていきます。

魂もつくしてしまえば、人に生まれることができなくなります。転生できなくなってしまうのです。あるいは、転生するまでただでなく時間がかかります。

人の魂はだいぶ摩耗し、「人」が生まれなくなっていきます。

人でなくなった魂は妖怪になります。妖怪になれば、神様などに倒されるか、封印されるかです。

尽くさないことがただ愛なのです。

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