追い出されること

投稿者: | 2018年8月19日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

本日は「追い出される」ということについてかこうとおもいます。

相手を追い出そうとすると、追い出されます。これは因縁論としてひとつあります。誰かを追い出そうとすれば、相手からも反発をくらって、パワーゲームでまけたほうがおいだされてしまう。そういう因縁もあります。

それともう一つ。今回わたくしが取り組んでいることですが

「追い出されることにより、人は新たなる役につく」ということです。

信心なさる方でも、追い出されたり、追いやられることもありますが、それは因縁を解消するためにだされていることもありますが、「追い出される」というのは天からみると、もう一つ大きなトピックがあります。

追い出すというのはそのコミュニティの犠牲者でしょう。誰かをいけにえにしたり、なにかよりあつまって追い出すこと、それは追い出す相手に恩をはらうことになります。

Aさんという人がいて、その方がある会社やサークルにおいて、なにぞ追い出されたとしましょう。追い出した側はAさんに対して負い目をもちます。Aさんの自業自得なこともあるかもしれませんが、人はなにかを犠牲にして自分たちを守った場合、Aさんはその犠牲のようなものです。

そのサークルはAさんに対して恩が発生します。その恩にて、Aさんはその恩を利用して(無意識ではありましょうが)新たな役につくことになります。もちろんすぐすぐではないでしょうし、Aさんはサークルにたいして憎しみや、あきらめ、悲しみもあるかもしれませんが、それによって、一念発起して努力して、新たな役についたり、違う道が開かれたり、追い出されたあとは不思議と役目がまわってくることが多いのです。

よくだまされて、それでなにくそとおもって裸一貫からのしあがり、相手に復讐するというお話しがありますが、そこで、おいだされたからこそいまの自分があるとおもえればその方の人生は豊かなものになるでしょうが、復讐して恨みを連鎖させてしまうと、そのときはハレバレするでしょうが、そのあとのむなしさといったないでしょう。

なにかに追い出されるといったとき、その追い出した相手を恨むでなく(恨むと今度そのしっぺ返しもありますから)、なるようになって、役つくための禊のようなものだとおもって次に向かう、というのもよいでしょう。追い出した相手から恩をいただき(早期退職金や解決金などもそうですね)その恩を糧にして、次の役をもらうぞ、どうぞお願いしますとお願いなさるとよいでしょうし、相手を恨むよりなら新たな方向にいきましょう。恨む気持ちは祓い清め、自分の自業自得なものであればそれはただしていかれること、悪意と風紀はしっかりただすことです。

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