魂を鍛える

投稿者: | 2018年7月17日

いつもご覧いただきましてありがとうございます。

昨日は、弱さについてかきました。

人の魂が弱るのはなぜか。
それは人に求めるからです。提供するものを提供していないのに、お金を求めるからです。
「満たされないから人になにぞ求める」これをしていると、人の魂は弱ってきます。
人にああしてほしい、ああしてほしくない、嫌わないでほしい、みとめてほしい、きらわれたらこまる。そう求めることで、
人の魂というのはどんどん弱らせられます。
魂を鍛えるというのは
受け入れること、与えることです。
受け入れることができれば、動じなくなります。
与えることができれば、回りまわって満たされます。
それを「もったいないな」「自分はむり」「なんであいつにやってやらないといけないんだ」「どうして自分が」
とそれを邪魔するものこそが煩悩です。
与えることに躊躇したり、むかつき、不平等を感じたり、
受け入れることに不安や恐怖を感じる。
これもまた魂が鍛えられていないことです。

相手からなにかいわれたらいやだから、とおこってもいないことに不安や恐怖を感じ、受け入れない、心を閉じる。そういうことはありませんか?なぜそれを感じるのでしょう。

魂を鍛えていき、与えること、受け入れることができるようになってくれば、振り回されることはありません。

なにも、自分が貧しくなるほど与えよということではありません。

なにか、誰かがこまっていて、自分がそれをできる能力があるならば、教える、与えることです。

できないこと無理なことをいわれたときには、そこで「嫌われたら、給料さげられたら」と無駄に恐怖感を感じることなく「それは手一杯なので無理です」と一言何も求めずに言うだけです。そこに焦りやどうしようどうしようという不安や恐怖があれば、人は簡単にそれをみぬき、さらにたたみこんできます。

不安や恐怖というのはつけいれられる隙でもあるからです。

仕事とは、約束、お役をいただき、それを果たして、果たすことで証としてお金や対価を得るプロセスです。人を信頼し、まかせ、自分の提供できることを徳罪だと思ってやっていくことです。職場でトラブルがあれば、それは学びです。なぜその人とぶつかるか、なぜ苛立つか、それをみせていただいており、鍛えるチャンスでもあります。

恋愛とは、与えることの大きな学びをいただけるチャンスであり、結婚もまたしかり、相手をみて、相手に学んでいき、様々なものを解消していくプロセスです。浮気をされたら自分もまたいずれかの世で浮気をした、姦淫の罪があり、それを相手がみせてくれることだと想い、その罪穢れごと自分の中からキレイにする。ひっかからず、流す。相手にもとめないこと、分かり合えないことを認め、自分が与えていく、受け入れることを学ぶ。別れもまた学びです。

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