自分の魂がどこ出身なのか

投稿者: | 2018年5月10日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

人というのは一番最後につくられた存在です。獣よりも、神様よりも、悪魔よりも後につくられた存在です。その分、様々なものが人に生まれ変わる可能性を秘めています。

悪魔であろうと天使であろうと、宇宙人であろうと、ご眷属様であろうと、獣であろうと人になります。神様の夢ですら人になります。そうすると、その方がどこが出身で軸なのかで、また人になるのか、どこにいくのか定まってきます。守護神様もかわってきます。

たとえば犬や獣が人のルールを学び、人から魂いただき、人になることを選んで生まれてきたとしましょう。ですが獣には獣のルールがあり、人には人のルールがあることを、魂はなかなか理解しません。それゆえに、齟齬もおこります。どうしても獣は獣のルール、強いものと付き合いたい、強いものが正義、強いものがもっていく、というお心が抜けないからです。その方にいくら人のルールをお伝えしたとしても、「わかっているけれどもそっちに引っ張られる」のです。その強い本能を振り切ることは容易ではありません。強い意志と、それこそ信仰が必要になります。これをしてはならない、これをしたらよくなる、それを強く持たねば、たやすく流されます。獣の方はどうしても、不倫や浮気に対する抵抗感が少ないものです。強い男性と情愛をかわしたい、それが当然だからです。悪魔も抵抗感があまりありませんが、獣の方ほどではありません。その分すなおで愛らしい方も多いですし、尽くします。これときめたら従順です。それはただの性質で、忌避すべきものではありません。ただ、姦淫の罪は罪。やらかしはやらかしです。罪はつみとして加算されますし、子にも引き継がれたり、来世や今の世で戻ってくるものです。ルールはかわりません。

合わない方は本当に合わないのです。いくらこちらが罪穢れを祓っていき、煩悩消していったからといって、深く付き合う人やコミュニティが変わったとしても、そういう界の違う人たちは存在します。広く人とつきあう接客をなさるとそれこそいろんな方がきます。多種多様です。その個性を認めること、個をみとめること、これもまた学びではあります。

ただ、誰かを変えていこう、誰かをよくしていこうと無駄に他人に干渉しないことです。これは口を何度もすっぱく申しておりますが、人は人ではかわりません。

相手が界の違うかたであればなおさらです。

あとは自分の心をかえていくこと、人にふりまわされない自分自身をつくっていくことです。何をしても魂の根源レベルから相いれない存在はある、ということを大きく認めていくことです。それは別にだれが上、だれが下というわけではありません。界がちがうんだな、くらいのものですから。

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