見える、甘いほうがあぶない

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

さて、最近悪魔系の案件とかかわることが多いのですが、悪魔というものは本当に偽装がお上手です。龍にみえたり、ドラゴンにみえたり、神にみえたり、お坊様にみえたり、「よいもの」の形をとってくるものがとても多いです。

そして、大体言ってくることはよいことを言ってきます。人に甘いことや、よいこと、そういうことをいってきたり、にこにこ害のないように近づいてきます。ですが、一度こちらが「あなたは良いものではない」と気づくと、とたんに牙をむいてきます。

本来神様というものは人にはそうそうお姿を見せてくださいません。ご眷属様は見せてくださることもありますが、神格の高い神様というのは、お声はとれてもお姿をみせてくださらない、とくにお顔はみせていただけないのがほとんどです。そして、守護神様より上の神様になると、愛はあるけれども厳しい言葉をたくさんくださいます。

こちらの内なる悪魔や妖怪など、そういうものをたたき出して下さるために、きつい言葉をだしてくることもあります。そのときこちらがむっとしたり、悲しんだり、そんなわけないだろうふざけるな!と思うような悪意をたくさんたくさん布団たたきのように出してくださいます。

 

その都度、ああ、まだ内側にあるんだなあと気づくのです。本来、自分自身になにもなければ、何を言われても「そうかそうか」とひっかかりません。

なにかあるということや、不具合があるということはなにかが「ある」ことですし、そこばかりケガをする、考えようとすると頭がぼうっとする、考える気力がわかない、というときにはそこにあるべきものが「ない」のです。

厳しいことも神さまいいますが、それによってイラだったり、ムカッとするということはその不浄に気づかせてくれる一歩でもあります。すべて、起こることは理由があって起こります。

なぜいまそうおもったのか、自問自答なさる時間を大事になさってください。

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