信仰ってなに

投稿者: | 2018年4月23日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

よく、おろす言葉に「信仰していくことだ」とありますが、果たして信仰ってなんだろう、どうするの、どっか宗教いけってこと、と誤解されないようにまとめておきます。

信仰というのは「神様とお付き合いすること」です。

人と付き合うときを考えてください。

まず、相手の喜ぶ顔が見たいと思い、会いにいったり、無理のない範囲で贈り物をしたり、喜びをわかちあったりなさるでしょう。それとおなじです。

神様の教えをまもり、会いにいき、賽銭して、募金して、神様のよろこぶ徳をささげて、こちらもその分喜びをいただく。神様とは誠実です。なのでこちらのすすむ道にたいしてアレせよこれせよという選択をおしつけません。あの仕事をしなさい、この人とはつきあっちゃいけません。そんなおかんみたいなことは言いはしません。

迷う、というのはなぜでしょう。失敗したり、もっとひどい目にあいたくないからでしょう。いまの人と別れたら、どうなるか、いまの仕事をやめたらどうなるか。そう迷うから人は惑うのです。迷うまえに、そこで何を学ぶかです。

今その状態にあるのは、魂がその場所に釣り合っているからです。仕事、相手すべて自分の魂の重さに釣り合うものです。だからこそ、迷ったり、悩むでなく、魂の品を上げていき、徳を積んでいって、自分自身を「あげて」いくことです。自分があがれば、周囲の対応もかわります。また、もう学ぶことがなくなれば、すっと縁がきれます。夫婦のほうが大変です。夫婦で一緒に魂の品をあげていかなければならないのですから、一緒にやろうといってもなかなかむずかしいでしょう、ですが、家として自分自身が積んだ徳をすべて家の栄にまわすことや、徳積んで、家がよくなっていくことを祈ること、自分で払っておしえてくれたパートナーに恩を返す、などやり方はいくつかあります。一人でやるには限界はありますが、限界までやったときにはパートナーもまた変わっています。

同じように「いつ~~できますか」という質問にも神様明確に答えません。たとえば、40前までには〇〇するかな、くらいのアバウトなことはぽろっといいますが、二か月先、半年先、そのようなことはいいません。予測できないもの、それをいうことで人は惑います。惑うと魔に付け込まれます。神様は来月〇〇するっていったのに、ならなかった、といわれたときにどうですか。疑いが生じるでしょう。お付き合いに不和が生じるでしょう。そして、時期を言ってくれないと「なんで神様なのにわかんないの」というでしょう。

そうではないんです。お付き合いは相手に無理言わせることでも、相手から無理やり約束を引き出すものでもないでしょう。「ねえねえいつ結婚してくれるの、いつ」とねだるお付き合いはもうその時点で壊れかけているでしょう。

三次元でおこること、これは本当にたくさんのものが絡み合っています。神様に反抗する勢力つまり悪魔だっています。逆らうものをつけている方だってたくさんいらっしゃる。なにかおこる時期がしりたい、そういうお気持ちは痛いほどわかります。そこまで頑張ればいい、そこまで頑張ればいいんだな、と先がみえれば頑張れるでしょうし、逆に、じゃあその時期がくるから気楽にまとうと何もしなくなるかもしれません。わかりますか、この時点でもうすでに「未来をきくこと」で未来がかわっているのです。何もしらなかったらそうなったであろうことが、時期というものをきくことで、変わってしまう。人の想いによってかわってくるんです。

人は自分で未来をつくる生き物です。因縁によってきめられた運命だってかわるんです。運命はかえられないんではないんです。ただものすんごいしんどい道になるけれどもかえることはできるんです。たとえ離婚をする、というホロスコープで出た人でも、それはいやだと自分の悪魔はらって、旦那さんに恩かえして、夫婦で神様とのお付き合いなさっていれば、回避できることもあります。虐待してしまうとなやむお母さまが、その子を害す因縁切って、子供を害さなくなればそこで切れるんです。ただ、夫婦の場合は夫婦は一つの魂共有なので、夫婦でやらなければという注釈はつきます。

はなしはずれました、迷いがでたら、迷いを祓ってもらう。なにか選択をするまえに自分自身の内側の問題を祓う。そのうえで、自分が本当にやりたいこと、したいことそれがみえたら。そこで学ぶことがなくなったら縁などキレイにきれます。

たとえば私事ですが、数年ずっととある会社の役員をしておりました。やめようとしても「印紙代もかかるし、名前だけだし、なんでやめるの」「やめられるとこっちも困るんだよね」とさんざんつきあわされておりましたし、いろいろぶちぶちいわれておりましたが、因縁きっていったとき、ふと、これやめてもいいなとおもい、連絡したら「いいよ。やめたいとおもってたもんねね。こっちで手続きしておくね」とあっさりと辞めされてくれました。

切れるとそういうもんです。スムーズにいかない、悩む、邪魔されるってことはそこになにかがあるんです。

なので、信仰していって、お付き合いしていくことによっていろいろご神徳もいただけるし、因縁もきれるし楽にいろいろ回るようになる。それが信仰です。

前の記事にかきましたが、神さまからのご神徳をうけるためにはきちんと自分自身の機種をあげ、教えによってだめだよといわれていることはなさらないことです。

信仰ってなに」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 信仰ってなに その2 – 指すの神子 つき己ブログ

コメントを残す