神様とはなにか

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

神様ってなんなのだろう、というところ、話し合っていました。人というのはなぜ救われないのか、じゃあご神徳をすなおにいただけるひとといただけない人とはどう違うのか。そこもふくめて一つ答えがあります。

神様というものは

・「魔を祓うもの」:魔とは迷いや煩悩、悪魔(西洋東洋とわず)、悪魔(人のつくったもの)を含みます

・「与えるもの」:神様によっていただけるものはちがいます

です。ではなぜ、与えるものでありながらご神徳をすなおに受け取れる方と受け取れない方がいるのかというと、友人がうまいたとえをくれました。

人を携帯の機種にたとえると、それぞれの神様のエネルギーを充電するには、ケーブルが必要です。機種がちがえばエネルギーはいただけません。その神様のエネルギーを頂戴したくても、自分自身が機種が違えばいただけない。ケーブルがなければいただけない。

祓う、というのはどのかみさまでもしていただけることです。ですが、縁をいただく、ご神徳をいただく、となると機種もケーブルも選ぶでしょう。

そのために、自分自身の品をあげたり、神様のところに通う、ご縁をいただく、というのが大事なのです。もともと、ご縁のある神様というのは氏神さまです。その土地に生まれる事を許してくださった神様です。引っ越しした先であればそこの土地かみさまです。その神様はもうケーブルがあるのと同じですね。

行きたいな、よばれているなという神様もケーブルがあるでしょう。

そこで、自分自身が充電のあまりできない古い機種か。たくさん充電できる機種なのか、その神様のエネルギーをいただける、充電できる機種なのか、なのです。

その機種をグレードアップすることが魂の品をあげることであり

ケーブルが信仰であり、(ケーブルもそれこそ品質ちがいますから)

充電してくれる根源、大本が神様です。

 

すべてそろって、はじめていただけるのがご神徳です。

なのでいくこと、信仰すること、自分の品をあげること。

神様のご神徳をフルにいただくならこれが必要ということですね。

 

じゃあ悪魔はなにかというと、願いはかなえてくれるけれども正規の手順を踏まずにむりくりつなげるようなものです。ゆえに、本願はかないますが摩耗も歪みも大きくなります。

例えると「この人がどうしても好きだから別れないようにとどめたい」と悪魔の力をつかって成し遂げたとしても、とどめる時間は長くなりますが、別れられない、というだけで本人が望んでいるような愛し合う関係の維持はできません。時間がうしなわれ、あいてをとどめいていた分、自分もそこにとどまって次の相手ができません。もしそれが不倫であれば、姦淫の罪として加算されて、どこかで噴出するでしょう。

お金がほしいと悪魔の力をつかって欲でお金を儲けるとすると、その欲によって「お金」は得ますがその分体にがたがきたり、人間関係がうまくいかなかったりします。そういうものです。

なのでわたくしは悪魔は否定しません。自分自身では悪魔と契約しようとは思いませんが、どうしても何を犠牲にしてもこれだけはと思う人のこころは「ある」とおもっています。そういう方はその後のリスクも承知でしょうし、何を犠牲にしてもとおもっているのですからそれで本願達成はできるでしょう。

ですが、神様のご神徳を受け取るにはやはり機種、ケーブルそろってないとならないです。悪魔もそうかもしれません。

仏さまに縁の深いかた、神道の神様に縁のふかいかた、キリスト教に縁の深い方、いらっしゃいますから、その縁=ケーブルです。あとは、機種だけの問題です。

悪魔とラインつないでいる機種を神様とつなぎたいというのなら、まずそれこそそこを祓っていかなければならないのです。

 

 

 

 

1件のコメント

コメントする