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●●の気持ちが知りたい、というのは人の常でありましょうが、これは非常に「惑わされる」ことです。なぜならば人の気持ちはちょっとしたことですぐかわってしまうからです。
「もう浮気しない」「もうギャンブルはしない」「もう間食はしない」そのときは真剣に思うでしょう。真剣に反省し、真剣にそう考えるでしょう。ですが数か月後、ともすれば数日で人の決心などたやすくかわります。無駄遣いしない、といっていたのが「ちょとだけ」「ちょっとだけ」と散財がふえていく。これもよくあるお話です。
「将来のために資格とるぞ」「漫画家になるぞ」「文でたべていきたい」そう思う気持ちは本当でしょう。ですが、それが行動にうつして実現できるかどうか、これもまたうつろうものです。「でもおかねがない」「才能がない」「時間がない」人はたくさんの言い訳や、事情で思っていること=行動にはなりません。
別れようと決意したけれども実際あうとほだされる。別れようと思ったけれども泣かれるとむり。妻とわかれて一緒になりたいけれども実際問題無理…。
人の思い=行動でないことがたやすくわかるでしょう。
口で言う言葉すら信じられないこともありましょう。
だからこそ、依頼があればそのときの、と限定しておろすことはいたしますが、それはうつろうものですよ、ということです。惑わされるので参考程度になさいませ、という注釈つきです。
あれほど彼が好きという想いも、次のいいひとができれば薄まります。それが自然なのです。一生同じ想いをもちつづけるなど、たやすいものではありません。
ですので、人の想いをきくのは、あくまで参考にとどめて、依存なさらないことです。惑わされます。そのとき当たった、当たってない。でたやすく惑わされます。
また、その相手がどうしても隠したいことというのは守護神さま、守護霊さん(ガイドさん)もってしても暴いてくれません。人の隠し事を暴くのは天からもNGです。あなたがどうしても隠したいことを、他の人がなんらかの手段もって知ったとしたらどうですか、うれしいですか?人には誰だっていいたくないことのひとつやふたつあるのです。それを言わないという相手の判断を尊重しなくてはなりません。
何度も申しておりますが、人が悩むのは内側の問題です。人も事象も、内側の因縁煩悩あってして現れるものです。その表面だけをみてはなりません。
その方が、子供をうむ定めなら、相手がだれであれ同じ魂のおもさもったひととひきあい、出産します。
その方が、伴侶とともに学ぶものがあるのであればどういう結果であれ結婚します。その過程はただの過程です。そこに四苦八苦されようとも、なるものはなるのです。
相手の心も想いも、どうなるものでもありません。ただ、自分の心もって、どうなりたいか、どうしたいかだけを望んで精進するのみです。