かみさまのことば。

投稿者: | 2018年4月10日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

神の言葉を増やすこと、といまテーマとしていただいております。この言葉をふやしていくこと、クライアントさんの案件や自分のことを通じて神様の言葉を増やしていくことがわたくしの学びであり、その学びが終われば、いまとはまたいろいろ変えていこうと思います。

さて、本日いただいたお言葉が「恩を返すことは相手の罪悪魔一つはらうことである」という言葉です。

以前から、相手を鏡として自分の悪意悪魔をはらうこと、時をさかのぼって罪穢れを生まれるまえから祓うこと、その相手に恩をかえすこと、これをすることで、自分の悪魔であるとか因果因縁がきれますよ、というお話をいたしましたが、恩というのがどう動くかということについてはじめて天からお言葉いただきました。恩を返すことによって、相手の悪魔や罪、そういうものが払われるのだそうです。鏡をしていただいた、相手からきえるのだそうです。対価としては以前お話しましたが悪魔を祓うのに積み上げる徳というのは決して安くはありません。3・5・7のお賽銭の法則にしたがうと、5か7.つまり5000円7000円、あるいはその十倍です(家族全員となるとまた話も別になりますからこれはあくまで目安です)。賽銭でなくても、それにふさわしいくらいの徳をおためになればよろしいですが、なかなか見づらいものもありますから、募金やお賽銭がわかりやすいものです。むろん、お酒でも米でも、その分神社におさめるでもよろしいです。

その分を募金するなりお賽銭はらって願うわけですから、それなりです。自分に悪魔がついているなあという一つの目安は、余計なささやきがあるかということが一つ。なにか出来事があって、脳内でなにか悪い考えなどをささやいたり、言い訳や保身、悪い想像。悪い考えをめぐらしてきて、勝手に妄想しだすものがあるかないかです。

そしてそれを意識したとたん、体が重くなったり、イライラしたり、考えたくなったりしたらいる可能性は大です。どのような悪魔まではそのときはわからないかもしれません。相手の正体をきちんと探ることです。一応、いま少しずつ更新しておりますが、悪魔図鑑のようなものもそのうち少しずつ増やしていきますから、そういうものがあるかないか、というのも指標にしてもよいかもしれません。

悪魔がいると、物事が停滞しますから、そこから測ってもよいかもしれませんね。

コメントを残す