管理する、される。

投稿者: | 2018年4月9日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

さて、先日から管理をするされるは因縁重い、というお話を天から頂戴しておりましたが、とはいえど仕事をしていてまったく注意をしないというのはどうなんだろう、信頼して任せるというのはわかれども、はたしてそれでうまく仕事がまわらないということもあるのではないかとふと思い、尋ねたところ、

「人が人を管理する。ものでも家畜でもないのにあれもこれも管理する。これ誤った支配になる。もののかんり、予定の管理、それはよい。だがそれを人にあてはめると自由を奪う。いついつまでにこうせよああせよ今日はなにやっていた。じゃあ評価さげるあれこれ制限するとしばる。風紀は良い。風紀をただすのはよい。風紀の乱れをただし、これはいかんこと、これはよくないこと、というのをただすのがそれこそ管理職の仕事であり、こうこう一律に仕事をあたえああだこうだ評価したり、厳密に管理したり、見える化だのなんだのぎりぎりとしめつけてただ苦しめるのはそこには信頼などないではないか」

とのことでした。

確かにご家庭で例えると奥様が旦那様をがちがちに管理して、いまどこにいるのなにしてるの今日はこれしてあれして、なんで早くかえってこないの、どうしてこれをしてくれないの、管理することも、旦那様が、今日なにをしてたんだ、家計簿をみせてみろ、家からでるな、こういう付き合いをしろ、するな、というとそれはたしかに息苦しいでしょう。それもまた管理です。

乱れているものは正し、まかせるところは任せる、管理をするされるいんががあればきちんと解消していき、信頼と風紀をただす、それだけで楽に生きていく、というのが本来の道なのでしょう。

さて、因縁をきるのはしんどいよ、と常々もうしておりますが、本当にやれやれまだあったの!?というくらいでてくるもんです。さすがにこれ終われば終わりが見えるかなとおもっていても、まだ先がある。毎週毎週でてきて、つぎはこれ、このつづき、まだこれ終わってない、あれと関係しているこっちがでてきたとまあよくもまあそれだけあったなあというのがでてきます。主人なんぞ、「もう疲れた・・・毎週毎週。人ってそんなに罪深いのかーつみびとかー!」と毎月叫んでいます。かれこれ半年は叫んでいます。

夫婦になったからには因縁解消はどちらかだけではできません。夫婦の魂はおなじ重さで釣り合いますから、どちらかが因縁きっていって、軽くなったとしたら、重いほうに引っ張られるか、軽いほうにひきあげるかです。わたくしの場合は「こういうお仕事で、毎週神社にいって厄落とししたい。だから毎週いこう」とひっぱりだして、そのうちたくさんいろいろいこうとひっぱりこんで、あげく、実はこういう事情で因縁解消したいと申し出ました。そのときにはだいぶ神社にいって、軽くなっていましたから、「仕方ない、つきあうか」というようになり、そのうち軽くなっていったらつぎからつぎへと夢で過去のことがでてきたり、家のなかがおかしくなったり、強制的にまきこんで一蓮托生です。

夫婦、あるいは夫婦に準じる肉体関係を持ち、将来をみすえるパートナーであれば、どちらかが先に徳を積んで解消していく、でもよいとおもいます。恩を返していくもよし、純粋に相手とこうなっていきたいとよく祈ることもよし、ひっぱりこんでもよいでしょう。そして、神社にいくとなんだか楽になるね、すっきりするね、となってきたらそのときに、一緒にあゆんでいこう、こうしたらもっといいみたいよ、徳をつむともっとすっきりするんだって、とひきあげてあげることも、それご自身の徳つみにもなるとおもいます。

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