子供をもってして栄えること

投稿者: | 2018年3月27日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

最近子供のことについて神様のほうからたくさんお言葉をおろしていただいております。そういうシーズンなのかもしれません。曰く、

「子は天からさずけられるものであり、子を自分自身の果たせなかったことをさせること、子に家をさかえさせることを課すこと、己の思うままの子であることを課すこと、これすなわち子を利用することである。それにより、子は親の期待をせおい、親の期待にこたえないことを罪と思い、狂わされる。背負わされる。親は子に残したいとおもうその心もあるだろう、子をもって己のなすことを転嫁すること、それははなはだ罪といわずなんという。子は、親の期待にこたえなくてはと自分の才能を封じてしまう。はたして親のいうとおりにそだたなければどこかで罪悪感をせおう。親のいうとおりにしなかったんだからせめて老後はと余計なことまで背負う。それ背負うのもまた子のうまれもった因果因縁であるが、親にしてもそれにきがついて、己のなすべきことは己の代ですべて昇華させること、任せるものはその役あるものに任せること。子は己の師であり、育ったあとは己の道をいくという生きていく智慧と、道を親が示すだけでよい。子に教わり、己のうちを見、天からいただいた子供をみて親もそだち、その恩として子を一人で生きていけるように生きる方法と道をしめす。それが親子である」

とのこと。子をああだこうだ、こういう職業になってほしい、後を継いでほしいと子供のうちからいうのはそれ子をしばります。子の魂はやわらかく、親の期待にこたえるよう、そういう形になってしまいます。どうしても稼業をついでほしいならば親と魂はずれ、ご自身である程度考えていける、立っていけるようになった15から。親の背中をみていれば、それが本人の魂にあっていれば稼業もその親のやっていることも、興味をもつでしょう。

子は天からのいただきものです。しつけなどは生きるための方法や礼儀として教えるのはよいでしょうが、子の行く先を親が決めたり、そうしむけること、これは子供の魂をふうじてしまうこと。しいてはそのかえしで、自分もまた、ふうじられます。

のびのびみながすごせるように、まず、自分の魂がいま自由か。それをみつめてみてください。

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