人の一生はその方の魂の縮図です

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人の一生というものは、その方が過去にわたって、過去生にわたってしてきたことの縮図です。その時期、その時節になると過去してきたことの因縁があらわれ、それを昇華したりのりきったり、被爆したり解消したりして、一生を終えます。

過去人を裏切っていたら裏切られ、過去浮気をしたら今浮気をされ、過去人を恨んだら恨まれます(霊の恨みも含みます)。霊に苦しむ方は霊との因縁だけでなく、だれかを恨んだり呪ったことで、人でなく霊の恨みや呪いを買うこともありますから、いま霊の恨みを背負うことになったということは、過去人を恨んだということでもあります。最近霊との因縁があって困っているという方のご相談も多いですが、こちら参考にしてくださいね。

人を恨む、呪うということはその分その恨みで人を害している、直接傷つけている因縁もありますが、うらまれるという返しもうけますから。害されれば害される。呪えば恨めば呪われる。呪うだけでなく、恨んだこと。これもまた霊からの恨みも買います。霊の恨みをかったら?それはもう鎮めて浄化してさしあげるか、恨みをうけて、解消されるまでおちるかです。そこでまだ、恨んだという因縁はきれていませんから、まず霊をおさめて、恨んでいた自分を認め、そこから恨んだ相手に恩をお返しし、恨みで魂汚れる前まで清めることを願うまでです。

今の世がハードということは過去にわたってやらかしが多く、それを解消してこなかったからです。それだけ魂が重いからこそ、ハードモードになるわけです。そこで人や神を恨むとそれこそまた積みます。己の不遇は己がやってこなかった、徳をつまず、周囲をねたみ、呪ったこと、つまり今の世でそれをなさっているのであれば、それを過去もやってきたわけです。過去やってきたからこそ同じようにいまも周りを憎み、そこからさらに返されてどんどん魂重くなっていきますから、つらいというときこそ徳をつみ、神社やお寺でその罪穢れを祓い清めるように願い、祈ればよろしいですし、困っている方には親切に、積極的によい行いをなさるとよろしいです。つらいときなんて人のことなどできるかと思うでしょうが、つらいときからこそやるのです。つらいことから逃避するのでなく、自分がつらいから、同じように魂重い、因縁深く困っている方を救い、その恩によって救われる、連鎖を起こさねば救われません。

最初の出だしがつらいですが、きれていくと確実に楽になっていきます。出だしがつらいのはしかたありません、人のせい、周りのせいにしてきたのをいきなり全部自分のせいだと、しかも原因が己のうちにあるというのを認めるのはとてもきついものですから。

さて、魂というものにうつろがあるというお話はいたしましたが、なぜあるか。これについて少しお話します。

魂のうつろというのは生れ出てきたときに天に御霊を一部没収されているからこそ起こります。うまれでてくる人の魂は容量がきまっています。生きている間に、悪いことをして、悪魔を魂の内側にいれたり、なにぞ霊や神々を自分にしばりつけて、自由につかったり、他人からたくさんのものを奪うと、その奪った分、つぎの世ではその御霊がごっそり天に没収されます。人を認めるこころ、人を愛する心、自分より困っている、立場の弱い方を自然に助けようと思う、見返りをもとめない高貴さ、信仰心。そういったものがごっそりもっていかれます。なぜないのか、それはないからです。なぜ人を素直に愛せないのか。良いなと思うことをできないのか、神棚をまつろうとしても面倒だとお世話をなげっぱなしにしてしまうのか、人を疑うのか。

それはないからです。一部、あるいは全部がペナルティでもっていかれていますから。

穴ばかり開いた魂はたやすくこわれます。壊れたのを修復するため、うつろをうめるため、人は無意識にいろいろなものを収集します。あれがない、これがないと魂がさけび、悪魔や悪意、あるいは霊や、よりそってくれるもの、魔術的な召喚、そういうものを急激にもとめてうめようとします。

そうなると本来そこにあるものはうまったわけではありません。かえるべきは自分の魂なのに他のものがはいっているのでいくら願っても入りません。

まず、因縁きって、魂のうつろの中にあるもの、それらはらいきよめ、そこに御霊を返してもらうということをしてはじめて魂が0にもどります。

清めがたりないと「まだそれはなされぬ」といわれますし、清めが足りていれば、「天は本人が望み、それを求めれば返す約束になっている」と神様おっしゃるので戻していただくことができます。

祓い清め、清め、本人の体と魂が軽くなるまではかなりしんどいでしょうが、そこから急速にむなしさや、寂寥感を感じたとき、それが合図です。

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