自分の内側をみるのはなぜ苦しいのか

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

自分が傲慢である、自分には愛がない、自分は欲が強い、人からうばっていたから、奪われる因縁おった、自分は人を見下していて、認めることができない云々。

自分の罪を自分がそうだと自覚するのはとても苦しいことです。いたたまれない気持ちになり、逃げ出したくなります。罪の自覚とともに、苦しくなります。

なぜこれほど認めることが苦しいのかというところ、神様がたにききますと

「恥ずかしい、と思うからである。己が罪がある、あさましいことをしていると自覚することは強烈に恥ずかしいと思い隠したくなる。なぜ恥ずかしくなるかというと、人はおのれの魂が天からきたものであると知っている。天からいただいた魂をけがしてしまった、よくないことをしてしまったというのが本人わかっておる。

小さい子がなにぞ悪いことをしたときに、親からかくれよう、かくそうとし、やらかしてしまったことでいたたまれなくなる様子があろう。それと同じである」

とのことでした。罪けがれ、己の悪意の自覚というものはしんどいですが、こういう見方をしてみるのも一つです。

また、その苦しいものを乗り越えて、それでもそれを自覚して、自分の深いところまでのぞいて認めていくというのはよほどの決意がないといけません。

とくに自分の因縁すべて切っていこうと思うなら、見たくない自分のみにくい心もみるでしょう。なぜ人や神をにくむのか、そういったあさましい自分も自覚するでしょう。それだけなしとげるという強いお心もって、その先にあるものを望み、ぜひみなさま苦しさは恥ずかしさ、いたたまれなさからくると思い、進んでいっていただきたいと思います。

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