ひとはひとがいるから学べる

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

娘が腹痛を訴え、苦しそうなのでなんだろうと神さまがたにきいたら「消化不良である。なおる。消化不良ゆえ、休ませよ」と言われ、寝せていたら吐き出し、「あら確かに食べて数時間たってるのに全然消化していないなあ」とのんきに片づけ、インフルでなくてよかったなあ、ありがたいなあと思っていたら

「うちの嫁は医者いらず‥」と起きてきた旦那にぼそりといわれ、そういえばなにかあれば「どうですか?なおりますか病院いったほうがいいですか」ときいてなおるといわれたら数日でなんでもよくなっていたので、一年以上病院にいっていなことに気が付きました。ありがたいお話しです(だからといって病気の診断のご依頼は参考になさってきちんとお医者様にいってくださいね。緊急のものなどもありますから、ご自身で不安なことはきちんと対応してください。検診・検査なされてください)。

こういう「結果がわかりやすい」ことから神様などに聞いていくと、「あ、おしえてくれることは本当なんだなあ。ありがたいなあ」と信じる心がましていくので、こちらもいやおうなしにおろした言葉を自信もってクライアント様におつたえできるというものです。

 

さて。お話しかわりまして。人は、周りに人がいるからこそ学べるのです。守護神様は、その方の因縁を解消し、悪魔悪意を気づかせるために導きます。いま職場で、学校で、家で、まわりにいる人たちは学びをさせていただく写し鏡です。

例えばの話をしましょう。
一日くらすのが精いっぱい、子供もいない、貧しいけれどもやっていける家族がいたとしましょう。
その方は他を知らないから、比べることなどありません。日々飢える事もない、それなりにやることがある、信心深く、満たされているとしましょう。
そこに、もっと裕福で、かっこよい旦那様をもち、子供たちもかわいく、自分の見知らぬよいものをもっている家族がたくさん現れたらどう思いますか?
いままでみたされていたのに、自分はなんて何ももっていないんだ、あれももってない、これももっていない、なんでこんなにうちは不幸なんだろうとおもいませんか?
人とくらべて、自分が持っていないことに気が付いて苦しみませんか?
つまり、人の苦しみというのは、求めることの苦しみでもあるのです。
欠けていることに、もっていないことに気が付いて、なんでないんだろう、なんでもってないんだろう、うらやましい、にくい、ああだったらいいのに、あっちの旦那はよくてこっちの旦那はこうで、子供もああでこうで…!と苦しむのです。

その、苦しんでいるのが煩悩であり、求める気持ちが欲であり、
もっていないものをみとめるのが知恵です。

もし、その裕福な家族が越してきたとしても、自分が満たされていて、幸せで、人は人、なにももとめないよ、満ちているとなったら、そのもともとの家族は幸せでしょう?
人というのは求めず、己が満ちていれば穏やかでいられるのです。
ああ、もとめなくていいわ、ここにあるもの、あるものでよろこべるものと
本人が思っていれば、本人は満ちていますね?

もう一つ例えましょう。

あなたがただ一人、なにもないところにいたとしたら、争いは生まれません。ですが、人はかならずその因縁によりお役目につきます。それがクリエイターであれ、営業であれ、医者であれどです。因縁あるからこそその職業につきます。なので無理に親が~~になりなさいといっても、その職業になるこはなりますし、ならない子はどうしたってなりません。それを認めるのも親のお役目です。もしそれがどうしても気に障るのでしたらご自身になにか内なるものがあるのです。

因縁あるから、学びがあるからその仕事につき、まわりの人とかかわるのです。それがよい学びであれ、悪い学びであれ、因縁ある相手、学ぶべきものがある相手とかかわります。

相手が苦手だと思ったり、相手をにくいとおもったら、それがなにが原因なのか、学ぶこと。学んでその悪意悪魔を祓うこと。学びが終わればそれ相手に感じなくなります。

周囲にかかわる人の数だけ己の煩悩あると思って、一人一人から学ばせていただくというお気持ちをもつことです。

4件のコメント

  • 斎く より:

    つき巳様。
    いつもココナラでお世話になっています。
    私は、斎く と申します。
    本名ではありませんが、すみません。
    ホームページ上で、どうしても質問したいことをみなさんの前で話してよいか?個人的なことではありますし、何日も迷いましたが世の中に知ってもらう意味も込めてすることにしました。

    ひとはひとがいるから学ぶを拝読しました。
    少し疑問に思うことがあります。
    なぜその因縁の解消を、職場などの縁のない方の為にしないといけないのでしょうか?
    私も大変つらいですがしている最中です。
    かげながら陰徳を積んでいます。
    人の因縁背負っていますので、体は重たく痛くてしんどいですが、今日はこちらの地方では雪になることはめずらしいのですが、雪のふるなか神社に、4社詣でました。ひとけのない神社に参っているときに、涙がでてきました。そして、寒さと氷そうな重たい体をかかえて、対価を払ったあとにむしょうに腹立たしい気持ちになりました。
    なぜ??こんな仲の悪いひとの因縁を背負わされなければならないのか?本来なら、あのひとがしなくてはならないことなのにと思ってしまいました。
    自分の内なるもののこたえは、いつも決まっています。
    我慢、忍耐、なしとげること。
    心のなかで泣きながら、雪の中を歩きまわりました。冷たい水をさわり、滝をみながら、天にこたえをききました。
    しかし、ひとはひとがいるから学べるかもしれませんが、そのひとは一生涯きづかないでしょう。
    その方たちのうしろで、その方たちの為に、因縁解消をしているひとがいることを。

    私は素人です。霊能者ではありません。
    でもこれからもしていかなくてはなりませんが、
    どれだけいま、私のような方がいらっしゃるのかな?とふと疑問に思いました。
    いつ終わるかわからないこのような因縁解消を。
    そのこたえは、つき巳様ならきっとわかるのではないでしょうか?
    上位の神様とつながることのできるあなた様なら、教えていただけるのでしょう。
    でも、私はまだまだのようです。
    この因縁解消が終わるまで、もう少し頑張ってみます。

    • つき己 より:

      こんにちわ。

      これについては「神々にささげる対価として釣り合うものをわたせるのならそれがなにであろうとかまわぬことはかまわぬ。なにより、そこで徳積むのが最高の近道であり
      それ乗り越えたときに次にすすむ」
      とのことですね。
      意味のないことは神様させません。
      意味のないことなどなく、あとからああ、このことかと思うことも様々です。
      なんで!?と思うくらい神社をまわらされたり、夏休みすべてつかって全国各地まわったり、無償で人のためになにかをしたり、とにかくいわれるがままやっているうちに、なにか次の導きがあるというものです。
      ある程度徳が溜まって、こちらも清まってこないと次の因縁切りのシーズンには入りません。
      あるいはこちらが何かに気づき、ああ、これを学べばよいのか、それはどうすればいいのか。と内なる気づきがなければ次のシーズンには入れません。
      因縁を解消すると決めて、天にそれを願うと、その因縁が小出しにされます。本人のできる範囲、ぎりぎり頑張ればできる範囲ででてきます。
      イライラしたり、どうしようもなくなったり、体が重くて大変だったり、あげく物理的にもなにかの邪魔がはいったとしてもそれをやりとげるかどうかを神様みてます。
      それすら乗り越えて、越えていけるか、その出された因縁を切っていけるかというのをある意味試しています。
      嵐であろうと台風の中であろうと、自分のためでなく、誰かのために救いにいけるか。それがたとえ気ののらない相手であろうと嫌いな相手であろうとです。他人をよくすることで自分の因縁きれる。
      情けは人のためならず、己のためであり、他人をよくすることで自分がやっと救われるのだ。
      そう言い聞かせて子供二人抱えながら山の上まで詣でたこともありますし、具合が悪く、グロッキーになりながら800キロ夜中の高速走らせたこともあります。
      途中で、なんでここまでしなければならないのかと思うことはありますし、
      いつ終わるのかと常々聞いてますよ。いつおわるのーそろそろ報われてもいいんじゃないですか!?と。
      なのでわたくしは自分のなしたことの足跡を、ここにのこしているのです。
      因縁解消するっていうのは、解消するにはどういう足跡をたどるのか。どれだけ時間がかかるのか、先が見えないのか。
      それも残していっているつもりです。
      まだかまだかとおもっているうちは、まだです。そのうち解消していくと
      さあ次の学びはなにかな、なにをきらせてくれるのかーと迷いが消えていきます。消えていないうちは、まったく煩悩がきれていないのです。
      そこにまず気づくことです。
      悩んだり、迷ったり、心が暗闇の中にいるうちはまだまだです。
      そこ解消していくと、前も申しましたが夜明けの領域に入ります。
      夜明けの領域になったら、今度は自分の魂が失ったもの。それは愛であったり、誠実さだったり、高貴さだったりそういうもの、失われたものを天から返してもらい、魂のうつろを埋める時期に入ります。
      お許しいただき、埋めることで、はじめて見えてくる未来もあります。
      人の魂はたとえそれが誰であろうと、うつろがあります。
      それは過去のやらかしからペナルティとして天においてきたものです。人は、魂がうつろであるから、それをむいしきに埋めようとします。そしてよけいなものをどんどんくっつけていきます。
      本当は完なるものになり、天にのぼりたいのに、それが見えずどんどん重いものをふくらませていきます。
      まず、そこをおいだすこと、うつろがあることを認めること。虚無というものは「荒涼神」がついてお知らせしてくれます。悪意をはらっていくと、穏やかではあるけれどもむなしくなる。むなしくなって、なにか足りないなと人は感じる。
      神さまの声を感じなくても、きちんとわかるように天は用意しております。
      そこから満たしてほしいと願うのです。満たしてほしいとそこ満たされると今度は奥底にねむっていた悪意が押し出されてでてきてまたイライラして祓うのくりかえしなので
      あれまあ楽ではないものですが。
      難儀ですねえ。難儀なんです。
      人やめるという学びはそれこそ魂いくつもサイクルして学んでいくもの。それをやろうと決意し、神々のお力かりてやるとしても早々すぐすぐできるものではありません。
      対価も高いですしねえ。埋めるとなると一家で一つの神社に7千円とか平気でお納めしないといけないですし。それを一日7社とかまわるものですからガソリン代も高速代もままなりません。
      それよりなら難易度高くでも誰かのために何かをなさって、徳を積むというのもありといえばありです。
      その人ができるような解消の仕方を神様がたさせているのですから。その人にできる、範囲での因縁切りをさせていただいているとおもって
      その徳をつかって、なにか因縁きれて次のシーズンに、学びにはいるのだと思っていまできることを淡々と。です。

    • つき己 より:

      追記として

      人の問題、人から学ぶことはたくさんあります。
      わたくしの場合はご相談にきてくださったクライアント様の案件で、きづきや学びが毎日にようにありますし
      同じ様な問題を抱えている方が同時期にこられますとこれはこの学びの機会だとおもい、
      神さまからおろされた言葉は自分にも向けられていると学び、それを還元することができます。

      会社やどこかに所属するということはその周囲から学び、その学びをさせていただいた御恩をお返ししてお互い良くなっていくという連鎖をして
      切れる因縁もありますし
      そこで学ぶと自然と不思議な力が働いて転職や離縁をします。
      そこにまだいなければならないということは学んでいないのです。

      こちらが徳を積ませていただいているのですから、相手に恩をかえすのは当然の流れです。
      今回その相手の霊やらなにやらを浄化することで、こちらは大量に徳をつませていただいている。
      これも相手がいないとできないこと。
      それにより相手がよくなる=恩を返すということです。
      こちらもよくなる、相手もよくなるというサイクルをなぜ嫌だと、気が進まないと思うか。
      そこに隠された悪意・煩悩にどうかお気づきになってください。
      それ学ばねば次にはいけません。
      気が進まないということはそこにひっかかりがあるのです。

  • 斎く より:

    つき巳様、おはようございます。
    メッセージありがとうございます。
    やはり大変迷いましたが、プライベートでメールするよりは、いま同じように迷っている方たちへの何かのメッセージにもなればと思いまして、こちらに返信することにしました。

    今日、私は不思議な体験をしました。

    こんなにも体の痛みと吐き気と寒気を感じるほど業の恐ろしいこと。自分のではない、職場の方の他人の因縁解消は、命をとられるかもしれないほどの危険だと、1日中感じました。
    私は、職場の方たちの憑き物を数体を、私にのりかえさせ無理矢理捕まえてまでしています。
    業である。業の恐ろしいこと。そなたと同じじゃ。と、ひと言この言葉が守護神様からおりてきました。業てなんだろう??わからなかったので、ネットで調べました。
    つき巳様、やっとわかりましたよ。
    私が同じような因縁をもっているからでした。
    業でした。生きているひとの業ではなくて、いま自分にのりかえさせている一体が、私と同じような業をもっている前世の持ち主だからでした。
    ひとを憎んで恨んで死んだもの、だから自分にもまだまだその恨みがあったんです。

    なぜ、職場の方に腹立たしい気持ちになるのか?

    それは、きっと私とはちがう業のもち主だからなのかな?と。

    あれだけカルマ因縁解消、でてくるたびにたちかえって何度も浄化していても、奥底の深い魂の中に抱えていました。
    ひとはひとがいるから学べる。それと同じく、ひとはひとのなかにいる憑きものからも学べる。と言う事でした。
    だから、いま私のなかには、同じような憎しみをもっていると言うことです。
    その憑きものは、守護神様をとおして教えて下さいました。
    死ぬ間際の震えるほどの悔しさ、苦しみ、怒り、恨み、憎しみ。
    おのれ、邪魔をしおって、子孫を根絶やしにしてくれる。と私に訴えてきています。
    かなり厄介なものを背負わされていますが、
    でも、私なら救える。と確信しました。
    いままでは良くわからないで何体か天におかえししていましたが、やっとなぜ?私がやらなければいけないのか?わかりました。
    この哀れな霊を頑張って浄化します。もとはといえば、この職場の方の昔の先祖の業が原因ですが、それを私が贖罪できるように、もうしばらくがんばります。
    あんなにも嫌でイライラしてたのに、いまは落ち着きました。不思議です。
    守護神様のひと言は、ほんとすごいなと思います。
    今日仕事からの帰り道に、○○○○様がお呼びです。と言葉おりてきました。
    何かに自分自身気づくとまた神様との縁をいただけます。
    つき巳様、いつもありがとうございます。
    つき巳様にメッセージは神様からのメッセージですね。
    そこで、徳つむのが最高の近道であり、次にすすむ。
    この言葉は大切に胸にしまっておいて、いまやらねばならいことをやりきります。
    ありがとうございました。

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