依頼がくるとわかります。

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

依頼がくると、家事をしていようがなにをしていようが、ふとわかります。鑑定とか、それほど重いものでなければそれほど強いものは感じませんが、こと何かを祓うものや因縁の大きな案件ですと、とたんに憑き物や因縁が付いている場所が痛くなったり、重くなったりしてお知らせがきます。依頼し、対価を払った時点でその因縁や憑き物をこちらに乗せ換えていただいているからです。こちらに乗せ換えないと、事情もわかりませんし、祓えたかどうかがわからない、きちんと対価分祓えているかわからないのでとても効率はよいのです。しんどいですけれども、祓えば楽になるのですし、それほどの時間しんどいわけではありません。むしろずっとそれをかかえていたクライアント様のほうがずっとしんどかったのです。

対価を頂戴して人の何かをする、ということはそういうことです。なので、祓いなどをお仕事にされているかたはある意味命がけでもありますね。対価がつりあっていないとそもそもこちらに乗せかえることができません。中途半端に載せ替えても誰もよくならないでしょう。なので、適正な対価と、適正なのせかえが必要なのです。

よくご相談がきます。「人からお金をもらってヒーリングするなんて、すごく嫌なんです」「お金をもらってなにかするのがひっかかる」そういう方は、いただくことに罪を感じてらっしゃるそのおおもとの因縁もありますが、そもそも「背負う」のを拒否していらっしゃるのもおありです。

対価を頂戴する。それはその相手様との契約であり、いただいた分を等しく遂行なさらねばなりません。「それだけのものもらえるだけの提供ができない」ということの裏返しでもあります。提供ができないものをする。それはすなわち今の自分には釣り合っていないのです。

あなたのつくったものが100万円の価値があるなら、それは100万円という金銭で取引されます。「私はこれは価値のあるものだとおもうけれどもお金をもらうなんて…」と思っている時点でそれは価値のあるものではありません。あなたがその商品の価値を決めるのでなく、天がそれを決めます。それがしっかり価値のあるものであれば、それはいずれだれか必要な人が購入します。価値がないものであれば、誰もそれをもとめません。

自分が背負えるもの、提供できるもの、その対価をきちんと授受でき、その対価が正しいものか、それをしかりと見定めるには、欲があってはいけません。欲が己の中にあると、迷います。

そこにあるのはただのカバンなのに、ブランドだ、誰かが持っているものだ、お金もちがもっているものだ、あれをもっていると自慢ができる。もっているとちょっとみえをはれる。そういう欲が価値をくもらせます。本当によいもの、職人さんが愛をもってつくっており、自分がこころひかれるもの、自分がお支払いするときに愛をもって払えるもの。それが自分にとってよいものです。

お金もまた、天からいただくものです。お金というとあれですが、自分が労働したもの、つみあげたものはそれがものであれ、金銭であれ、天から頂戴するものです。

愛をもってうけとり、愛をもって払えるものをはらい、いただく。

このサイクルがうまれると、そこに貧しさがはいるスキはありません。

自分が提供できるものをきちんと背負い、いただき、さしだす。それだけでしょう。

コメントする