気づくのは、くるしい

投稿者: | 2018年1月16日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

気づきというのはよいことだけではありません、

自分の内側のものに気づくというのはとてつもなく苦しくて、目をそむけたいものです。

「~~さんがひどい人で、態度がきつくてよく理不尽に怒られる」「彼女にいやなめにあわされる」「彼にひどいめにあわされる」・・・などなど。ですがなんどもブログでは申しておりますが、その原因は自分自身です。それをつきつけると、「そんなばかな」と思い、反発します。怒りや悲しみを感じることもあるでしょう。見たくなくて、鑑定の文を読みたくない方もいらっしゃるでしょう。

例えば、自分の子供が反抗したり、自分の親にぶつぶつ言われ、どう感じますか?誰かに自慢されたときにどう感じますか?誰かが自分の好きな人と幸せそうにしていたらどう感じますか?自分の嫌いなひとが自分よりはるかにお金をもち、幸せなパートナーをみつけていたらどうしますか?

こころがぎゅっとなりませんか。苦しくなりませんか。その気持ちがすでに煩悩です。

本来反抗するのは自立であり、親にいわれることは(それがどういう形であれ)親の人生経験からでる愛であり、自慢はただの言葉であり、幸せな人はただ、満ち足りているだけです。

なのになぜイライラしたり、苦しんだりするのか。それはその人のお心の中に答えがあるのです。

こころに憎しみを持たない人は、憎まれません。嫉妬がなければ苦しみませんし嫉妬されません。怒りが、荒ぶる心がなければあらぶりません。いやな目にあわされたと嘆いている方は、おなじことを家族やもっと立場の弱い人に無意識にしていませんか。よく、つまはじきにされるという方がいらっしゃいますが、お心のなかで「あいついなくなれ」とか「いなくなってくれればいいのに」とおもっていませんか?そういう気持ちがあるからこそ、それを祓ったり昇華しなければおなじトラブルに会います。

わかるまで、何度でもあなたの守護神はおなじようなトラブルに放り込むでしょう。

気づくのはとても苦しいですし、人に指摘されるのはもっと苦しいですし、いやでしょう。嫌なことをすすんでやることです。

嫌な人のよろこぶことをし、じぶんが嫌だな、と思うことを積極的に。苦しいですけれども、それこえて、悪意はらうと「なんでこんなことでイライラしてたんだろう。あれ?すごい穏やか。まわりも穏やか」というところにたどり着きます。その繰り返しです。職場にいる人、近くにいるひと、一人一人が最低一つは何かを教えてくれる鏡です。

相手をみて、下にみたり、おそれたり、こわかったり苦手だったり。

なにかしらのひっかかりがあるでしょう。それをきちんと理解して、鏡だな、ありがたいなという目でみてみてください。

クライアント様と接するときに、どうしても「ああ、これは苦手だな、逃げたいな、重いな」と思うことがわたくしもよくあります。そういうときはその案件から学ぶことがあるのです。その方を通じてわたくしも天からなにかしらを教えていただいているんだとありがたく腹をくくります。逃げても他の形でわかるまで案件はやってきます。余談ではありますが、鑑定料金をお安めにしているのもじつはこの部分が大きいです。クライアント様を通し、天を通し、わたくしは学ばせていただいているので、鑑定の対価は天から提示された対価の1/3以下です。修行と徳積み、気づかせてくださったクライアント様への御恩のためにいまこのわたくしの因縁切りが終わるまではこの対価になっております。いずれの後、いまやっていることが終わったら対価を戻したり、鑑定自体をやめることもあるでしょう。いつになるかはわかりませんが、時期がきたらまた風向きもかわるというものです。

さて、八大龍王様の護符というのは最近ショップのほうでよくでております。

これはそういう「気づき」をくださるご神徳をおろす神様ですので、どうしても苦しくて気づけない、そうはいわれてもなかなか感情に振り回されて本質がわからない、という場合利用してもよいとおもいます。

ああ、きっとこれは学びなんだなあとそこからきづかせてくださるでしょう。

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