魂のうつろのこと

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

さて、これをかくのは悩んだのですが、同じく因縁を解消していっている方のためにも書いておこうとおもいます。

人の魂にはうつろがあるというのを以前の記事でもかきました。わたくしはその当時、それを聞いてそうなのだな。うつろがあるのが人間の通常の状態だと思っていたのですが、このうつろ、ふさぐこともまた、因縁の解消の一つなのだと理解いたしました。

わたくしの一つの目標として因縁を解消して次は人間に生まれずに天にかえることを掲げておりますが、人の魂は罪穢れが多く、過去から積んだ因縁、現世積んだ因縁、家族からつけられた因縁それぞれあり、一つ一つの罪に対応する神様にご神徳いただきその罪をお許しいただき、悪いものを切り出しておりました。

重くなった魂の罪穢れを洗い流し、壊れた魂であれば修復していただき、ある程度軽くなったところで積み上げていく、というところまで精進してまいりましたが、この積み上げていくということはつまり、魂のうつろを埋めて、魂を天からおりてきた、そのしんなるものにかえすことなのだそうです。

人というのはその罪穢れにより、ペナルティとして魂の一部、あるいはそのほとんどが欠けて生まれてきます。あるいは、生まれてから因縁によって壊れる魂もありますが、魂の形というのはとてもいびつであり、人はその欠けているものをむいしきに求めます。求めるけれどもそうそう手にはいりません。学ばなければ手に入らないからです。

そして、欠けているのを求めるがゆえに、そこにはいりこむのが悪意、悪魔です。魂はそしてまた重くなっていきます。

魂の罪穢れをおろして、ある程度きれいになったからといって、このうつろがうまるわけではありません。そこにかけている「人を認める善意」「誠実さ」「愛」「内なる豊かさ」「高貴さ」「智慧」そういったものを今度はうめて、魂を完なるものにしなくてはならないのだそうです。

以前かきました八雲の神さまを頂点とした国津神様、こちらは罪穢れをよく祓っていただけます。それをある程度なされたときに人は次のステップ、太陽の神さまにおめもじつかまつり、次は「うめていく、つみあげていく、そだてていく」ところに入ります。

めまいがするほど果てしない道のりですので、果たしてこれをかくのをためらったのは、ただ、罪穢れをはらっていくだけではそれは因縁の解消とはいえない、そこから完なるものにならなければそれこそ本当の解消とはいえないよという事実が案外重いからです。

罪穢れをおとさねば、そこにまたひょっとすると欲が入り込みます。なので、浄化は大事です。一度はらったからといって終わりではない。

そこを埋めていく、今度は埋めていくよということをなさらねばならない。ですが、その埋めるのもある程度魂軽くなってたくさん罪穢れきよめた状態でないとお許しいただけない。果てしないほど人は学ばねば次にいけないという衝撃ではあります。

これもわたくしいま途中ですので、いまいま提供できるのはうめることができた一部分のみです。

そうでなく、きちんと提供できるように。提供することを天に認めていただくまでできない施術ではあります。できないものをかくのもなんだかなあとも思いましたが、祓うだけでもだいぶ楽になります。平穏が訪れます。そこからさらに、と上に上にと求める方のためにも道のりをかいていこうとおもいます。

 

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