身を切ること

投稿者: | 2018年1月11日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

自分の中のもの、それがたとえ悪意であろうと悪魔であろうと因縁であろうと、自分の身をまったく切らずに膿をだすことはできません。どのような形でもかまいません。己の身、時間、対価それを削って膿を出す、ということです。

以前弁天様のところに行ったときに

「人、モノ、金銭、それすべてそなえたゆえに望みをかなえよう」と神様おっしゃいました。そこにわざわざ足をはこび、供物をささげ、対価をささげることによって人が望んだことが釣り合うのです。悪いものをとってもらうにせよ、何か積み上げていただくにせよ、必要なのは己のなにかをしっかりとささげることです。

救われたいけれど、祓ってほしいけれども、カルマ解消してほしいけれどもそんな対価は…という方はぜひ、その分なにか違うことで己をささげて徳を積んでください。

そもそも、何もトラブルなく、何の障害もなくするすると物事が進む方であればもともと行いがよく、軽い魂なのでしょう。

そうでなく、悩み多く、トラブル多いということはそれなりに重い魂です。

己の内側に問題があるからこそ、その内側のものがトラブルとなって表れるのです。すべての縁は写し鏡であり、この世の不具合は己の内側の不具合です。不具合出すのに身を切ること、それを切らずして何もだせません。人は15前後からその運命かわります。

親の魂からぬけて、自分の人生になり、それまで抑えられていた自分のもともとあった、過去から積み上げてきた因縁がだんだんと噴き出てきます。

年齢をいけばいくほどそれは積み重なります。20そこそこの人間の魂と、倍以上生きている人間の魂の重さはまた異なります。つらいな、重いな、と思うのであれば、徳を積むことです。

まず己の因縁切り、親からつけられた因縁切り、魂軽くなったところで己の失っていたものを取り戻し、そこからはじめて自分にないものを積み上げることができます。

それほどキャパシティのない魂がただでさえ因縁や悪魔で重くなっているところに、新たに何かを積み上げるなどできません。よくなるまえにはまず、膿だししましょう。生み出しのまえに膿だしです。

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