救いは連鎖させる

投稿者: | 2017年12月9日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

わたくしが一番はじめに神さまにいわれたこと。それは「救いを連鎖させなさい」ということです。「自分が救われたいなら、誰かを救いなさい。一人から二人、三人、救いを連鎖させることで、人を救うことで人は救われる。助けてほしい、どうか救ってほしいと思うならだれかを救い、連鎖させなさい」

とそういわれました。

自分が苦しく、つらい時にはだれかを救い、それを連鎖させるようにすること。これはとても大変です。たとえ人をなにかしらのご神徳もってそのとき救ったとしても、それは連鎖ではありません。そこからさらに、どんどん広げていくということです。とてもではないですが簡単なことではないですが、それでも自分が救われたい、と願うならやるしかない、ということでしょう。「心を強くなさい」とも言われますし、「気づきなさい、自分がわからぬこと、気づいて自分ができることでないと人にはできない。」とも言われます。わたくしがわからない、把握していないものは対処できないからです。

本当につらい方、もうどうしようもない、となったときはじめて人は神様にたのみます。そこまで追い詰められないとどうしようもないからです。そのときに、お心とめてください。救われたいならだれかを救ってください。

失恋でも、喪失でも、なにかの不幸でも、それを断ち切り、救われたいなら、誰かを救い、その良い因縁もって自分を救うということですね。

しんどいときにそこまで考えられるか、ともお思いでしょうが、しんどいのは自分の積んだ(あるいは家族の積んだ)因縁です。前世の因縁であろうが自分のなさったことです。不幸は誰のせいでもなく、自分のせいであり、誰かのせいにするのはお角違いです。悩むのも、苦しいのも自分が首しめたようなものです。

それを見つめないで、なんで何でと悩んでもかわりません。きちんと、その罪穢れを浄化していくことです。

自分の中に憎しみが、人を呪う、恨む感情が強いほど、恨まれると、呪われると強く苦しみます。憎しみを手放し、自分の中の恨みつらみがたくさんあると、同じ呪いうけても段違いに苦しみます。憎しみの感情がつよいほど、誰かに憎まれ、最終的には害されます。

自分の中にそんなのないよという自覚のない方もいらっしゃいますが、それは忘却なさっている可能性もとても強く、本当はおそろしいほど恨みも憎しみもあることに気が付いていないだけです。

なにか、ものわすれが多い、どうもぽんといろいろ記憶が飛んでわからなくなる。という方は、何かを忘れて押し込んだ因縁を持っていらっしゃる方もいます。つらいため、幼少期の記憶をおしこめ、その反動で記憶が引き出せないこともあるのです。そこ紐解くと恐ろしいほどの憎しみが出てくるかもしれません(そういった案件いくつかあります)。

自分が害される原因、救われない原因、内側にあるものはきよめていって、楽になっていかれるのもよいのではないでしょうか。

年末は年越しの祓い、新年は初詣、いつもいかないかたも今年はぜひ足を運んでみてください。

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