徳を積むのが簡単になり、因縁つむのも簡単になった時代

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

タイトル通りのことを痛感しております。

まず、徳をつむのは非常に簡単になりました。パソコン、スマホ一つあれば緊急に募金ができます。数百人を助けないと切れないような重い因縁でも、難民に寄付すること、被災地に寄付することでたった数分でできます。むろん、それをなさる人たちがいらっしゃるからです。本来であれば人を殺した因縁あり、人を救わないといけないことが、募金ですむのです。一生かけてやらないといけないことが数万募金するだけで、目に見えて切れるのですからありがたいお話しです。その徳もって、悪魔だろうが霊だろうが、天にかえすことができます。

ですが、逆をいうと、因縁つむのも本当に簡単になりました。ネットはたやすく人を傷つけます。悪意の拡散も非常に速い。簡単に、人を攻撃し、しんどかったら簡単に縁切りをしたり、呪術を依頼できる。ご縁のないものに無理に縁付かせようとして、人為的に橋をかけようとなさる。縁結びも縁切りも神様のお仕事です。それ代行なさるということ、もうすこし考えた方がよろしいのになあと思います。

もともとあったもの、聖書でもそうですし、古事記でもそうですが、きちんとした教えがあるのです。御仏の教えもあるでしょう。かならず意味があるということです。

人、というのは見返りなくば神をもとめない。見返りなくば、人に親切にしない。実はこれも大きな煩悩の一つです。

とくにこまってないから募金なんかしない、賽銭こんだけはらっても、別にめにみえて結果ないだろうし10円でいいか、嫌いなあの人に親切にしても楽しくない、先祖供養?しなくてもばちあたってないし。

そういう自分から「出さない」ということはそれだけ「入ってこない」ということです。出すのをしぶる、そのお心、それこそが煩悩です。誰かのためになにかを、見返りをもとめずしてみる。そういうことで切れる因縁もあります。自分が強烈に嫌だな、なんでこんなことと思うこと、積極的にしてみてください。それだけ強烈に嫌、と感じるのはなぜか、ふと気が付くでしょう。ああ。これが煩悩だなと。

神社にいきたいのに足が重い、とってもとってもイライラするというときには、それこそ自分の中のなにかがとってもいやがっていることです。自分が嫌がっていること、積極的にやってみる。年末にむけて自分の心も体も大掃除なさってみてください。

 

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