徳をためるということは

投稿者: | 2017年10月23日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

わたくしはよく「徳をつみなさい」「陰徳ためなさい」ということをよくいいます。これはよく天からいわれることだからです。

このお役目していると、クライアント様につく悪魔や霊を祓うことが多くあります。なぜか最近の依頼はこれらに偏っております。このうち、悪魔を祓えるのは徳だけだからです。十分にこれらがないと、はがせません。とれません。とるために神様およびしても、徳がなければ払えません。霊などはこちらの力で飛ばすこともできますが、悪魔だけはどうしても徳(あるいはそれに準じるもの)が必要です。

なんとか少しの徳でクライアント様からとったとしても、上にあげるか神様にもっていってもらうかするにも徳がなければ最悪自分に入ってきます。このとき悪魔が取りつく悪意が自分の中になければ影響はありません。嫉妬や、驕りなどの感情が己の中に清められて全くない状態ですと、悪魔がはいってきたとしても、よりつくところなく、出ていきます。ですがわずかでも自分の中にそういうよりつくところがあれば、一気にはいってきて、害されます。一日中頭のなかで騒がれたり、家の中のものが割れたり、機械が壊れたりですね。そうなると困りますので神社にいき、世の中の平穏とついた悪魔に徳つけてあげるよう結構な対価を払っておかえりいただくことになります。

なので、どんなクライアント様がきても、心乱れることなく、祓ったものを取り除いて、あげるためにも陰徳や徳を常に積まなくてはならないのです。また、自分の中に悪魔、悪意のとりつく隙があれば入ってこられるので、常に内観と問題点を主人や天と話し合いをし、こういうところがなくなればいい、どうすればいいか、どこの神様にきよめてもらえばいいか、なにかに執着する気持ちや人を批判したり、うらやむ気持ちがあるか、顔つきがお互いおかしくないか、常に自問自答したり、家の中を確認したりします。悪魔は隠れるのがとても上手で、こちらが認識できないように隠れますし、他の感情の裏側にそっとひそんだりします。そして見つけたら「あ、みつかっちゃった」といわんばかりに姿をあらわします。

誰もがそうです。心の中に人はかならず悪意を飼っています。それを清めていかなくては、なにかの隙にはいってきます。それらにまどわされないよう、入られた場合は徳さえ積んでおけば神社にいけば、式神いれば簡単に払えますし、神社にいって、賽銭多めに払って他の幸せを祈り、徳をつむというのもありです。その上でその神社ではらってもらうのも問題ありません。

自分のエネルギーや力だけですと、もっと力のあるものには負けます。ですが、徳さえあれば、自分でもなんとかできます。

ぜひ、積んでください。人に感謝したり、ごみひろってみたり、ちょっとしたときに募金してみたり、困っている人を助けたりなどです。よいことをして、因縁解消し、こまったときには清めてもらう。徳がおおくたまったら、それで願って願いをかなえることもできる。

情けは人のためならず、自分のためです。

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