悩み迷うということ

投稿者: | 2017年10月11日

いつもごらんいただきましてありがとうございます。

さて、先日もまた神社に行った際に、とある神様からお話しをいただきました。

「迷うということは嘘につけいれられる。迷ってなにか答えをもとめようとすると、用意に嘘に付け込まれる。いろいろかんがえるから不安になり、これでいいのか、どうしたらいいのか、相手がいれば相手の気持ちを考え悩む。その答えをもとめようとすればするほどやさしい嘘に惑わされる。まよったときには迷う前に立ち返って、祓い清めよ。また、物事は単純である。それをするか、しないか。いくかいかないか。ほぼ二択である。迷ったときには、己に立ち返り、苦しくてもそれをやるかやらないか、それだけに心決めよ」

とのことでした。

物事というのはとてもシンプルなのだと思います。人間が思い悩むゆえに複雑になるのであって、とてもシンプルです。その時悩んで、選択するということはとてもつらいこともあるでしょう。そこであまりにもたくさんの意見を聞いたり、占ったりしすぎるとたやすく嘘に流されます。そしてどんどん物事の本質から遠ざかっていくのです。

悩んだら、まず悩む前に立ち返って浄化を。

そして浄化してクリアになったらどのみちを行くか見渡してください。さらにまよったらまた立ち返ればよいのです。

これだけだと記事として短いですね。ではもう一つ。

最近同じようなお悩みを持つ方が来られております。その際に、天からいただく言葉の一つが「縁ができないのは恩を返していないから」。本当によく言われる言葉の一つです。いまでてきているテーマなのでしょう。縁結びの施術をしてもぱっとしない、なんだか運気が停滞している足踏みしている。神社にいっているのにあまり改善しないときには、周囲から恩をいただいて、だれかにそれを返しているか、きちんと回しているかをふと考えてみてください。生まれてからこの方、ひとというのはたくさんの人から恩をうけて生きています。それを、返していくことです。感謝のことばでもいいでしょう。なにかかたちにしてもいいでしょう。もう返せる相手がいない場合や、返すのが難しい場合は、だれか他の人を助けてあげてもよいでしょう。

陰徳、というものにもつながります。陰徳は「他の誰が見ていなくてもよい行いをすること」でもありますが、恩返しとは世の中からいただいた恩をしっかり本人や次のものに還していくということです。

親切にしてもらってあたりまえとおもうことなく、ありがとう、と感謝の心を返しても、一部恩返しはできます。

恩をためこむと、還すまで人から恩をいただけません。つまり、人から優しくされたり、人にとりたててもらったり、人に報われたり、そういうご縁ができません。

恩をかえすには、神社をつかってもいいです。賽銭ふるって(いつもいってますねこれ)、「いままで恩をくださったかたに福徳あたえてくださいありがとうございます」と申し出てもよいですし、近くに神社がないし、どのくらい返せば対価つりあうのかわからないというときには恩返し施術もしておりますのでお問い合わせください。

今までたくさん恩をいただいたからといって、対価がすごいことになるということはございません。とあるクライアント様にもお伝えしましたことですがこちらにもシェアします。

たとえば極端なたとえをします。
恩返しを祈願したとして、あなたの恩人が、「その後出る予定だった病気の芽が抑えられた」とすると、いまそのおさえる対価としては1000円程度だったものが、もしその施術がなければのちに数百万の医療費になったりします。そうしたとすると、たとえ1000円の祈願であっても、恩還すのにふさわしい対価と釣り合ったといえます。
また、その恩返しによって、誰かが仕事運があがったとして、まわりまわって数万の収入になったとします。また、投資運が増えて、ふとかった株が値上がりしたとします。
そのように、たとえ押す力が少しだとしてもそこからよいほうに転がったとすると、それは恩を返すのに足りるものになります。

もし、ふと「ああ、恩を返しきれていないかもしれないなきちんと返そう」とおもいたったら神社にいくなり、その方を思い浮かべて感謝するなり、もしそれでも気持ちおさまらぬのであればご連絡いただければと思います。

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