先日下したお話の中でこういう一節がありました。
「一つは、逆らう、反抗するということは
互いに対抗するという運命をつくる。
そこで互いに張り合う、対抗する、という運命をつくっていく。
最初にどちらかがなんらかの衝動によって相手に逆らうと、
お互い対抗する運命をつくっていく。それにより自らが苦しくなる」
たとえば誰か、上司でも友人でもなんでもむかっ腹がたって、「こうじゃないの、ああじゃないの」と言いたくなり、態度でもなんでも出したとします。相手に対して衝動が抑えられず、真正面から逆らったとします。
そうなると自分だけが相手に対抗するわけでもなく、相手もまた自分に対抗する運命を作っていきます。自分だけが相手にたてつくのではなく、相手も、たとえ表にださなくても、自分の意見を受け入れなくなるのです。
それをつづけていけば、自分が逆らった分だけ、対抗してくる人がふえ、やがて自分がなにか仕事や人生で助けてほしい、とおもっても「いやだ」「やりたくない」と逆らう人が増えていきます。
「周りは自分のことを助けてくれない」と苦しむ原因を自分でつくってるというところ、理解できずにただ周囲との軋轢で苦しむのです。
理不尽なことに逆らうな、ということをいっているわけではありません。
いろんなものに、自分の衝動からかみついていないか、逆らいたくなっていないか、自分が自分の仕事ややることを最小限にするために(面倒、やりたくない、なんでこんなことをしなければならないのだ等々)、逆らっていないか、ということです。
あくまで、理不尽なことをいわれてる、されてる、虐げられているとかそういう状況は除きます。
ただそれほどな状況じゃないのに仕事や家庭において、そのときの機嫌や気分で「逆らう」というのが常態化していないか。そこを考えてみてもいいかもしれません。