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さて、迷ったときに役に立つかもしれない「おろした言葉」、もう少し書き留めておきます。
自分の作品が評価されないとき
「作品はただ見せるためのものである。そこから評価だの、それを仕事にするだの、売り買いするだの、それらは副次的なものにすぎない」
自分が他人の作品をみたときのことをかんがえてください。漫画でも小説でも、あるいはテレビや映画でも、それをほとんどは「ただみておわり」でしょう。
批判や、批評、あるいはちょっときにいって購入するでしょうが、ほとんどの人間にとって、どれだけ他人が心血そそいでつくったとしてもほとんどが「みておわり」なのです。よほど好きな作品でもなければ、おぼえてもいないでしょう。そのくらい、ひとにとっては作品はただみておわり。そして見せる側も、おなじくらいの意識であったほうが釣り合いはとれるものです。作品はただ見せるだけのもの、みせて、みせて、みてもらって、みせているうちに、だれか意識にのこって、このましいねとみてくれるかもしれないものです。それを「なぜ」「どうして」と苦しんでしまうよりも「みせるだけのもの」とわりきって、どんどんみせていく、そのスタンスのほうが、お気持ちは楽になるでしょう。
会社などで自分が部下や上司の期待にそえなくてつらい
「個人などみていない」
端的な言葉ですが、これがすべてです。たとえばなにか大きな問題をかかえて、市役所にいったときに、窓口であれこれ相談にのってもらおうとします。その時窓口になってもらった人にあれこれいいますが、対応がいまいちです。焦って、なんでできないんだ!と激高しますが、窓口の人にはなにもできません。じゃあどうすればいのだと、他のひとをだせ!といったり、なにか資料をそろえたり、いろいろ調べたり、自分のこまったことを何とかしてほしいといろいろ動くでしょう。
そのとき、窓口の人に対して激高はするでしょうが、それは「窓口個人の〇〇さん」をみていますか?みていませんね。そこにいる、窓口で、その人が応対してくれるべき職務の人だから、訴えたり、仕事を依頼するでしょう。そのとき個人をみていますか?
自分がうまくさばけないのは、そもそもそれをできる法律がないかもしれません。その相談に乗れるだけの決裁権や、ルールをしらないかもしれません。また、相手がそもそも自分に訴えたり、激高してくるのは「その職位」だからこその「窓口」だからです。
個人をみていないのですから、そこに自分の評価やら、自分で泣ければと責任を背負いすぎるのではなく、それは自分ではわからない、判断できない、と、上司やらなにやらに突っぱねること、また、窓口に「いる」かぎりいろいろかけこんできますから、窓口をしめる(さっさとかえる)、窓口を分散する(補佐になる人をつけてもらう)ということもなさってみてください。
夫、妻とうまくいかない
「夫婦であるということは、ただ一人でいるよりも少し便利なだけのもの」
相手に自分の人生を預けて、相手がいないと生きていけない、という状態がそもそも、相手に托生していますから、その問題を抱え込んでいる人は、そこからまず、托生をはずしてくことを意識なさることですが、
相手が自分を愛してくれない、相手が自分を粗雑に扱う、あれこれ育児してほしいのにやってくれない、相手の態度がきにいらない、もっとやさしくしたり、ねぎらってほしい、そういうときはすこしこの言葉を思い出してください。
ただ一人でいるより、少し便利なだけのもの、です。ちょっと便利なだけのこと。夫婦だからこれくらいしてあたりまえ、夫だから、妻だから自分を立てたり、ねぎらったり、協力してほしいと、あれこれもとめてしんどい想いをなさるよりも「まあ一人よりもちょっと便利だよね」くらいのほうがお気持ち楽になるでしょう。
今日はこのへんで…。
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