クライアント様に魂のせい と じん についてお伝えしたときに、「わかりやすかったのでブログとかでも書いた方がいいと思います」とおっしゃっていただいたので、ちょっと加筆したうえで、転機したいと思います。
以下転記・抜粋です。
魂が増えるというのは人のたくわえられる生気がふえるということとおなじです。
つまり、沢山たくわえることができる=摂取もそれなりにコンスタントにしていく必要があります。
ひからびると、細胞が水分がなくなった状態です。
からからにのどがかわくように、
なにか欲しくなります。おもに生気です。
そこに脳みそが勘違いすると
なんかほしいな~とよけいな食べものを欲しがってしまうこともあります。
また、ひからびてくると、体が熱をもつので、末端部位とか、足とか手とかがほてって眠りにくくなることもあります。
その場合はもう、もやしでもトマトでも、いまお安くなっている白菜でもなんでもいいですからちょっとだけ食べてください。それによって眠りにつきやすくなります。
魂が大きくなってくると、生気のある食べ物はおいしく感じられ、そうでないものがなんとなくおいしくなく感じることもあります。
生気のないたべものたべてもしゃっきりしないなあ・・・・みたいなことが
体感として多くなってきます。
また、なにか自分で運命つくるにも、せい はひつようなものです。
すこしたとえ話のほうがわかりやすいかもしれませんので、例えてみましょう。
一面の畑があります。
そこにはたくさんの・・・そうですね、小松菜がなっているとしましょう。
このこまつなのたねがじん です
そこに水をあたえて、育てるためのひつようなものが せい
です。
じんをたくさんふやすと、小松菜の収穫量があがります。
その小松菜を悪魔や妖怪に売ることで、
なにかを得ることができます。
これがいってみたら、召喚して使役することでもあります。
これをみな、自分のなかの悪魔や妖怪に自動的にもしゃもしゃ食べられて快楽やら失望、思考、悲しみを得ているとおもってください。
妄想、妄執、思考、快楽、求める心によって小松菜はどんどんもしゃもしゃ食べられていきます。
じん、がないとせいをいくらとっても、
小松菜はなりません。つまり恵みはえられません。
じん があっても、せいがなければ
小松菜はなりません。ですが、その小松菜をつかってなにかを得たいのに、えられないとなると
魂は水を欲しがります。
この欲しいけどせいがない状態が、「ひからびている」とおもってください。
必要な時にうんめいをつくるために、小松菜を育てて、わけあたえる。
これも、必要以上にあれこれ消耗することがなければ、
得る魂と、出す魂とつり合いがとれれば減りません。
魂を増やすには、
やはり生きているものを食べるのが手っ取り早いのです。
生気のある食べ物には、若干ですが魂はあります。
魚でも、貝でも、鮮度のたかい、死にたてのものはたましいがあります。
最初のうちは、大抵の人は自分の魂がない・少ない状態なので、
がっつりふやすためには、募金とか施術とか、人の役にたって、まずなんでもいいから魂を回復することが重要です。
施術の効果がうまくでない、という方は、その魂自体が「流し出すだけに足りてないので、時間がかかる」場合や「ほかのことでつかってしまって流し出すまでの量までうまくたまらないので時間がかかる」場合があります。
魂を増やす、ということを意識してください。
手っ取り早いのは募金ですが、天照さんあたりは、この「じんをふやす」ことができますので、お賽銭もって、魂くださいといいにいくのもいいです。「じん」がふえるということは必要生気も増えます。
それをのりこえてくれば、
小松菜を必要なときにあたえる、かつ種は仕入れる、とバランスが取れてきます。
(説明がわかりにくかったらすいません)。
まあ毎日ばかみたい毎食たべろ、というわけでもないですが、
一日一食でもいいので生気のあるものはコンスタントにたべてください。
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