地獄と救世主のこと

以前、こういったおはなしを降ろしたことがあります。
「地獄、というもの、それがあるからこそ、メシアを誘引する。
メシアという型をつくる」
つまり此の世がしんどい、地獄だとそこから救いを求めます。
地獄だ、自分のおかれた境遇も、此の世も地獄だ、と思うからこそ、
キリスト教でも仏教でも
救済や救世主を求めます。
ですが、此の世が地獄でなかえれば、救世主なんてもとめないでしょう。
じゃあ此の世が地獄だ、としているのは自分の「型」なのです。

自分が他とくらべて仕事ができない、あれができない、劣っている、
家庭環境がわるい、
親が毒だ、
それらが「地獄だ」とするからこそ、
救いを求めます。
地獄とかないけど、それがムリ、そこにいないように運命を作ろう、というのであれば作ればいいのです。
救いや救世主をもとめれば求めるだけ
その地獄や、救われることに消耗します。

救世主だったり、救いの手だったり、
それがなければ快楽もそうですね。

だれか、なにか救世主を求める=地獄ありき
なのです。
つまり、変な話ですが
「誰かたすけてくれえ」と救世主を、救いを求めている人は
ずっと地獄なのです。
地獄であるからこそ、救世主を有効的なものとみなし
求めます。
救いを求めているうち、誰かここからたすけてともとめているうちは
地獄にあるのです。

よくいるでしょう?

すごく愚痴を吐いて、仕事がつらい、家がつらいといってくる隣人、同僚。

よかれとおもって、仕事辞めたら?とアドバイスしたり、家をでたらいいじゃないかとアドバイスをしても、あれこれ言い訳をつけて、出ようとしない、どうしたらいいか、どうしたら相手に響くかという依頼・ご質問も結構あります。

外に救世主を、誰か救ってくれる相手を求めている、という救世主という「もの」「型」を信じている人は自分のつくった地獄にありつづけます。救世主というものが有効だ、そういうものがあればよいのだ!と妄執して信じている人に

「自分からそこから出ていきなさいよ」といっても

自分からでていくよりに「救世主」が有効的だと妄執しているのです。そして地獄、というものにあり続けます。

最高をつくるから、最低がある、

救世主を有効だとしているから地獄がある。

逆説的ではありますが、そういうものです。

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