生まれ変わりを考える

この世というのはアクションです。
あくまで魂が何度も輪廻できるとしたら、
いまの世はゲームでいえば一つのステージでしかありません。
そのステージで敵にまけてしまったり、穴におちてしんでしまっても、
たましいが消耗せずに来世があれば、別にまあいいか、と手放せる程度です。

実際古代の人はそのあたりを魂が理解していました。
死んでも、次の世があるので、それほどいま現在のにくたいの苦労は
仕方ない通過点としかみていなかったのです。今の世しんどくてもまあ、来世次のステージがイージーだといいなあはっはっは。
くらいのものです。
御自身の愛した伴侶や、子供、親もまた死んだとしても、次の世があるのであれば簡単な別れと送り出しでよかったわけです。
なので昔はそれほど「死」というのはおわりではなかった。
ピラミッドもそうですね。生まれ変わるのを知っていたからこそ、ああいう発想になったのです。

いまの世はたましいの消耗がはげしく、生まれ変われない人もおおくあります。その場合、非常に魂は死を恐れます。
孤独を恐れます。ありとあらゆるものを恐れます。
死をおそれるからこそ、医学もまた発展していくわけです。
死や、なにかの恐怖が強いということはそれだけ魂の消耗がはげしく、魂自体が「来世があるからまあいっか~」と
楽観できない状態だというのがまず一点あります。
お金一杯もっていれば、多少の損失なんてこわくないですけれども、ちょっとしかなかったら、
なくなっちゃうかも!!!じゃあなくならないようにだれかとシェアハウスして、財布大きくしなきゃ!となるでしょう。
その財布おおきくしなきゃ!というのがまさに「伴侶をもとめる」とおなじことです。
夫婦になれば、魂はよりそって、二人でそれをわかちあうからです。そうすると魂は増えます。
ふえると、この焦燥が一時期緩和します。

死の直前、病や老いによって、人は急激に魂を消耗します。恐れや恐怖によって、急激に魂はすくなくなり「薄く」なっていきます。「薄く」なると魂は当然亡くなっていきますから、死んだあと、水先案内人に支払う対価がすくなくなり、供養してあげないと次の来世にいけないこともままあります。

突然死んだり、若くして亡くなると、魂が消耗しないまま死にますから、ともするとすぐ生まれ変わることができるわけです。前世の記憶をもって生まれる人は「子供の時に死んでここにきたんだよ」という供述がとても多いです。それもそのはず、子供のころ死んで、魂の消耗がないと、魂はいろんなものを保持しています。また、自分である程度、どこに生まれようか、と選ぶこともできます。この親がいい、というよりも、この親の魂に惹かれるなあと水先案内人を経ずに、自分で生まれ先をえらぶことができるのです。

本来それだけ人の魂というのは「自由」なものです。いま、どなたかを亡くしたり、自分が死への恐怖で苦しい、という方は、その別れが永遠ではない、死は一つのアクションが終わるだけ、送り出してあげる、旅立っていく、ということも、意識の選択肢にいれてあげてください。

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