綺麗に整える

世の中で「神」的なものからいわせると
「綺麗に整える」というのは罪のひとつです。

なぜかというと
たとえば家や町、国家を綺麗にととのえ、道を整備し、
美しく整えたとしましょう。
そうすると周りからみると
あそこは綺麗だ、なんて羨ましい、
自分のところは綺麗でもない、みすぼらしい、と
そういう思考をつくります。
また綺麗に整えると、それを維持しなくてはと尽くします。

綺麗にととのえたとして、それに満足したとしても、
もっと綺麗にととのえられたものをみたら
一気に自分のものがみすぼらしくなるでしょう。
そしてなぜ、こんな、と
自分のきれいにととのえたはずのものが
あせてしまうのです。

外からみて、それはなにもかわりません。
ただ自分の中にそういう意識があり、そこにひっぱられ、
あせてみてる、だめにみせる、
まわりがよくみえてしまう、ということです。

自分の、自分の世界を
綺麗にととのえよう、整然と、
自分の満足いくようにきれいにととのえようとすればするほど
そのループにはいっていきます。

綺麗にととのえようとやっきにならないことです、家でも、仕事でも
仕事のありようでも、
きれいにととのえようとすればするほど
ループにはいってもがきくるしみます。

そこをすこしだけ意識してみてください
きれいにととのえようとやっきにならず
これはこのくらいでいいものだ、
これ以上やらんとこ、とおもえば、てばなせなばるほど得るものは増えていきます。

整理整頓が、掃除がわるいというわけではありませんよ(笑)

綺麗に統べようとするところが、そこに妄執してしまえばそれだけ自分の中で尽くしていくのです。職歴でも、人間関係でも、家の仕様一つでも、自分の人生の汚点がないようにないように整然としたものをもとめればもとめるほど、羨ましい、みすぼらしいがでてしまうというところ、

すこしかんがえてみてもいいかもしれません。

 

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