輪廻について

ちょっと日々のことで忙殺されていますと、すっかりブログの更新がおろそかになります。

今年は一か月には2つくらいは記事を入れようと思うも、もう二月も中ごろですね、すいません。

 

さて、魂について、すこしずつわかってきたこともありますので、お話ししておこうと思います。

人のたましいというのはとても密度の高いものだ、というお話しを再三しております。人間が人間としてなりえるのもすべてこの魂があるからです。その魂はせい、とじん この二つで構成されているということはお伝えしたとおりです。

よくよく考えると、人の遺伝子も4つの塩基とその組み合わせで構成されるわけですから、人間というのは肉体も、魂もつきつめれば単純な物質で構成されるのも当たり前かもしれません。

それはさておき、その魂というのは尽くせば消耗します。そして、この世は財や恵みだけではなく魂の椅子取りゲームのようなものです。

自分の中にある煩悩や快楽、悪魔や妖怪にそれらを食わせても、誰かと共鳴しても、妄想しても、魂は消耗します。使われます。そしてその内なる悪魔などや、召喚した悪魔は、その魂を得て、どんどん肥大化して、やがて一定量になり、希望すると人間に生まれ変わることもできます。

人が妄想し、こうであったらいいなという妄想の産物や、人の夢もまた、人間に生まれ変わることもあるのです。

 

そして、人としてのたましいが尽くしてなくなってしまうと、人は生まれ変わることはできません。来世がない状態になります。

そうなると、死んだあとは此の世にとどまり、妄執や妖怪、いわゆる悪霊状態になりまして、人にとりつき、人から生気をうばったり、人の役にたって魂もらって、もう一度輪廻に戻るしかなくなります。

役にたつやりかたはひと(?)それぞれです。だれかが抱えている鬱屈、その憎しみや死へのあこがれをとりついて増幅させ、その本懐を果たした時に、お礼としてその魂をもらうのです。それは此の世のルールです。

 

人が亡くなると、その魂に紐づいて、その魂が信仰しているところからお迎えが来ます。

ここでくるお迎えというのはたいてい悪魔(天使)か妖怪(妖精)です。そしてその死者のたましいを霊界につれていく、道案内をして、役にたつことで死者から魂をもらうのです。三途の川の渡し銭のようなものですね。この対価がなければ、お迎えもきてくれません。

死んだあと、どこにいけばいいかなんて知っている魂なんてほとんどありません。そうなるとうろうろさまようことになります。

 

たましいの状態をよく質問されることがありますが、まず第一にみるのがここです。

来世があるか、ないかです。

来世がある、ということは「渡せる」魂があるということ。来世がないということは何かに「渡せる」だけのたましいがないということです。

この渡せるだけのたましいがないということは、なにか自分で運命つくろうとしても、作れない状態でもあります。

亡くなった方がそうなると、輪廻にもどるためには、魂になって他の人から魂もらうか、あるいは、遺族の方がその魂に対してなにか供養をしてあげるしかありません。

たましいを尽くさないように、消耗しないように、肉体のあるうちにできることはたくさんあります。物質的に運がよくなりたいとか、そういうものも大事ですが、運だけでなく、自分という魂のためにも、消耗しない、というところを意識していくとよいかなあと思います。

 

 

コメントする