ひとの運と魂のお話し 4

毎日結構な量の文章を返信しているので、そろそろキーボードがへたってきました。そろそろ新しいのを購入しなければ…。

ブログもなんとか10月中に更新できました。

さて、魂のお話しの続きです。

人の魂については前回かいたとおり。その魂が潤沢であれば潤沢であるほど、運命はたくさんつくられます(いい悪いにかかわらず)。なければ、快楽もなければ楽しいとも思えない、使役をしようにも、使役も使えない。大きく運命をかえるようなことは起こりようがないのです。

なので、回復しなければならないのに、妄想や、ちょっとした快楽や、何かを求めること、何かをさけることに魂をつかってしまい、なかなか回復しない。それが実情です。

また、人が生まれ変わるとき、どこに生まれるかというのも、魂の量にかかわってきます。前世にて、魂を消耗しきれば、同じように魂のすくない親のところに生まれます。魂が少ない親は、恵みが少ないのです。恵みが少ないということは、本人が得る恵みも少ないのです。

此の世は富の取り合いだけではありません。魂の取り合いもまた、おこっています。なので、魂を回復するために、徳をつめ、とか、仏教などでは教えるのです。誰かの役にたって、報酬をえることなく、役にたったかわりに魂をいただく。

そうしてじみに、地道に回復させることによって、また、瞑想などで頭を空にすることによって、消耗せずに、運命をつくっていけるようにしよう、というものです。(徳については前も書きましたが、いずれ支払わなければならないものを支払うものでもあり、魂を回復させる手段でもあります)

 

また、ちょっと上級者的なお話しになりますけれども、

「人から得たものはすべて恵みだ」というのを魂が理解すれば、また変わってきます。

それが人からのヘイトでも、批判でも、他人から得られるものはすべて恵みだ、と魂が理解し、そこに嫌だとか、嫌われたくない、とか言われたくない、という思いや妄執、畏れ、恐怖をすべてはずし、ただ受け止める、ということを魂ができれば変わります。

政治家とか、嫌われる経営者とか、あれほど憎まれたり叩かれたりしているのに、元気でしょう?豊かに暮らしています。あれはこの原理です。

他人からヘイトやむかつき、イラつきを向けられた、ということに対して、やり返す、ということは
「お前からうけた恵みはいらない!返してやる!!」
と相手からうけたものをぶんなげることです。
ぶんなげれば、それだけ、投げた分の消耗はのります。
ドッチボールをうけて、それをうければ、衝撃は多少あるけれども、ボールは自分のものになるでしょう。
そのボールをいらないわ!かえしてやる!!とぶん投げると自分も疲れますよね。
それと同じです。
やりかえしたくなる、ということはそのボールを受け止める、もらう、というのではなく
「そのボールをなんでなげたのなんで私はボールをなげられなきゃいけなかったの、
誰がボールを投げたの?ぶつかったら痛いじゃない、痛い目あったんだから相手も痛い目にあわさないといけないよね!」
と様々な思考や妄執やイライラが入り、
ボールを相手に返してしまうのです。

世の中、無差別にボールを投げるのが好きな人もいます。
ボールを投げて、それが気持ちいい、相手を傷つけてすっきり!という快楽をもつひともいます。
ボールをなげなきゃ生きていけない人もいます。
その都度、自分のなかのものを消耗しているのです。
消耗すると、そのうち、ボールをなげる気力もなくなります。
相手がボールを返してくれる分にはいいのです。またボールが手元にもどります。
ですが、だれもそういう人のボールをかえしてくれないと、
結局その人は、なげるボールがなくなって、去っていくのです。
相手にする、ということは、ボールを返していると同じことです。
それを無理やり、「嫌なボールきた、でもこれをうけいれなきゃ」としていれば、魂はそれをうけとめていません。
ボールがきた、そうなんだ、となにもおもわなければそれはただのボールです。

うけいれなきゃいけない、うけとめなきゃ、じゃなくて、
ボールがきたなあ、くらいでなにも思考も想いもなければ、ただそこにボールがあるだけです。

「そのボールをなんでなげたのなんで私はボールをなげられなきゃいけなかったの、
誰がボールを投げたの?ぶつかったら痛いじゃない、痛い目あったんだから相手も痛い目にあわさないといけないよね!」

↑このあたりがなくなってくれば
「あらなんかイライラしてる人がいるなあ」
で終了です。ボールはなげられたとしても、反さなければ相手には戻らないのです。

そのボールを恵みだ、と魂から理解して、ボ―ルを得られれば、また、そのときは衝撃があって痛くても、自分の魂として消化され、そこからまた運命を作っていけるのです。

また、どんどん相手がボールを投げていたとしても、そこにおびえたり、避けようと消耗するでなく、ああそうなのだ、とおもっていれば、やがて相手のボールはなくなります。なくなれば、もう、投げようがないのです。

 

過去にいやなことをされた、という場合、それが恵みだった、と意識してみてください。それをいずれやりかえそう、仕返ししよう、あの時傷ついたんだ、というものではなく「あれが相手のボールだったのだ」と意識してみてください。

それによって宙ぶらりんになっていたボールが自分に嚥下されます。

消化には時間がかかるかもしれませんが、自分自身にかえります。

コメントする