快楽とわくわく心フィルター

快楽、とわくわく心、
というのを「理解」すれば外れやすくなります。

快楽、というとみなさん、セックスだったり、お金をたくさん得たり、ギャンブルで勝ったりとか

愉悦やなにかに浸るようなこと、どうしようもなくドーパミンがでるようなこと、と思いがちですが、それだけではありません。

いわゆる悪い、耽溺するような快楽、と日々の生活の中でうきうきしたり、充実感、幸せと感じること。両方が快楽です。

快楽の何がわるいんだ、というと悪いこと、というのではありません。

ただ快楽があると「それを得られないときの苦しみ」が発生したり、フィルターがかかること。それによって自らの運命をまがまがしく作ってしまう要因になること。人が懊悩する原因になることがデメリットとしてあります。

快楽をえる、幸せ、充実感を得るのに生きる=その分失望と懊悩が増える

この山と谷をつくるか、手放すか、だけの問題です。

「快楽」というものを理解するためのトピックとしてちょっと今日はすこし書いてみようかなと思います。快楽を手放したい、という場合には参考になさってください。

 

幸せだな、とかそれに熱中できるな、とか
同じことを何度もしてしまう
同じ様なものを何度もみてしまう、買ってしまう、
考えてしまう、
やめられない、
どうしてもそれをかいたくなったり、よみたくなったり
触れたくなる、
というのもまた
「快楽」であること。

晴れた日に気持ちがうきたったり、
あれこれしたいなと思うこと
それもわくわく心だったり
快楽であること

それがないとどうも「ほしくなる」「会いたくなる」「お金を払ってでも欲しくなる」
えられたときは気持ちいけど、しばらくたつとどうでもよくなる、というのは
快楽なのだ、と理解するといいです。

たとえば女性であれば
新しい服や化粧品、アクセサリ―を選んだり買うときに
わくわくして
悩むこと、選ぶことも快楽です。
何かを好きになることも快楽です。
そしてそれを得たときが絶好調で、
最初はその服でもアクセでもきらきらしているようにおもうでしょう。

ですがしばらくして、あれほどほしくてかったものが
新しくまた素敵なものをみると
とたんにどうでもいいものになりませんか。

この服で通勤なんて、
デパートにいくなんて、と
新しいもののほうがとたんによくみえませんか。

それが「快楽」「わくわく心」フィルターです。
フィルターがあるからこそ
素敵にみえ
それがない、ふつうの状態だと
「別に大したことないや」「あってもなくてもいいか」になるでしょう。
このフィルターをしてしまう、
よいものにみえる
わくわくしてほしくなる、
それが消えるとどうでもよくなる。

これが快楽です。

 

そして快楽もわくわく心も自らコントロールすることは困難です。

「心」とつくもの、それがわくわく心であったり、活躍心であったり、これらは人が抗えるものではありません。自分の中にあればかならずそれにひっぱられ、流されます。

わくわくも、こうしなければ、ああしなければという活躍心も、逆らうこともおさえることもできない「衝動」です。

 

人ときゃあきゃあと騒いで、交遊し、楽しく盛り上がるのが快楽だとすると、その快楽を得ることによって人の魂というのは消耗します。消耗し、消耗しきると今度はしばらく人にあいたくないな、ほっといてほしいな、と静養したいという衝動にかられます。

会社で快楽をたくさん消費して、家にかえるとぐったり。家族とかかわりたくない、人とかかわりたくないと静養する。静養してすこし快復したら今度はまた快楽をえたくなり消耗する。

そのくりかえしを案外している、ということに気が付かなければそのままです。

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