気が付くと4月・・。

世の中あらぶっていますね。風通しよくしてなるべく閉じた空間にはいないほうがよろしいかと思います。

あのウィルスは、気管という呼気の道道にくっつくらしいですから、気管支に入らないように、マスクはある程度は有効でしょうけれども、気管支が弱い方はとにかく加湿するべくマスクなどに塗れたガーゼ(アロマ垂らしてもいいでしょうね)をINしておくのもよいかもしれません。

 

さて

「悲しみ、というものは知恵によって誘引、誘発される。
知恵とは知識ではない、
思考、およびそのプロセスである」
とのお話しがありました。
さて、ひとが悲しい、というのはなんで発生されるか、誘発されるかについてすこし説明します。
自分の大事にしているペット、あるいは子供が死んだとします。
そのとき、ただその子供やペットが「死んだ」という事実があるだけです。
病か、事故か、その人にとっての寿命があったからこそ、そこでいまの人生を終え、まだ魂が生まれ変われるだけの消耗がなければ次回繰り越しです。
もし、転生できないくらい魂が摩耗しきっていれば、ただ妖怪になって此の世をさまようだけです。
それにおいて、
哀しみ、というのをうけるのはなぜかというとそこで「思考」が働きます。
「くるしかっただろうな」
「もしあのとき自分がとめていたら」
「あのときはやく病気に気が付いていたら」
「生きていたらあそこにつれていったのに」
「自分が親でなかったら」
「あのとき他の病院につれていったら」
と「思考」することでどんどん悲しみが誘引されて、つくられていくのです。

それを何度も繰り返し、思考すること、そして思い悩むこと、
これによって人はどんどん悲しみをつくっていきます。
あのときあの会社をえらばなかったら
震災がなかったら
あのときこうだったら、
という思考、そしてそのプロセスです。

ひとがこの「思考」によってできることなどたかが知れています。
いってみたら現実化などほぼしないのです。
思考しても、考えても、
ひとができることなど限られています。
「誰かや自分に役をつくること」「快楽を与えること、得ること」
「妄執すること」
くらいのものです。
なのに人に「思考」というもの、すなわち「知恵」があるからこそ
他の動物にくらべて人というのはたくさん思い悩み、自殺までしてしまう生き物です。

思考がなくても人は「知識」をえて仕事はできますし、恋にも落ちるでしょうし
知恵を得ることでああ、こうすればいいのだ、となにもかんがえなくても生活できるのに
「思考」というものがあるゆえに、
哀しみもつくり、思考する「心」
思考心がうまれます。

いってみたら、「知恵の実」をえたことで人は
「思考」を得て、
思考をえることによって悲しみを得、
思考により、
頭のなかで妄想等々、たくさんの快楽を得るようになってしまったわけですね。

快楽をえることで人は運も魂も消耗・消費していきます。

今年はたくさんの悲しみが用意されており、精神、心を凍らせたほうが、思考しない方が精神的に優位でいられる、のだそうですから、なるべく、ふりまわされないように、思考によって悲しみをつくっているのだと理解なさることも一つヒントなのだとおもいます。

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