魂にとって、「在る」と「ない」はとても大事なことです。重要視
人としての魂が「まったくなくなっている」ひとがある程度の割合で存在します。つまり、その人の魂を構成するのうち「ひと」である部分が0で、あとはもう、悪魔や妖怪か、他人の妄執や、そういうごちゃっとしたもので、「人の皮をかぶっただけのもの」というのがいます。
そうなってしまうとどうなるか、というと
その中のものをはずそうとおもっても、人の魂が「ない」のだから「ないもの」からひきはがすことなんてできないのです。
そうなるとできることなんて限られます。
ここが私の部屋。だから片づけて私のお部屋をきれいにしよう~★というのであればできますが
「私の部屋」もなにもなく、ただ汚い空間があったとして、それが「私」という枠組みもないのだから「私の部屋のこういうところをきれいにして」といわれても、ダス●ンだって困ります。「私の・・・といいますがこの部屋は部屋なのでしょうか、どこからどこまでがあなたのですか…」となりますね。
「人としての魂」がなくても生存していくことはできます。人には型がありますから(型についてはまた後日)
人の魂がある程度のこっていたら、そこからそれ以外の不純物をはずし、「人の魂をもどしてくれ」というのはできます。それは「人の部分」が「在る」から申し立てることができるんです。あなたが人の部分があるから申し立てることができるんです。
ですが、人の魂の部分がもうなくなっている場合にはいくら「人の魂をもどしてくれ」といっても「持っていないものがもらえることはない」のです。
だから、人の魂を消耗し、尽くし、なくなってしまったら、もう「誰かの代わりに災厄をうけて」代わりに他の人間から魂をわけてもらうか、人のためになることをして、そのお礼として魂をわけてもらうか、人からもらうしかなくなってしまう。妖怪というのはそういう存在です。
余談ですが、ひとの部分がなくなってしまうと、式などの使役もできなくなります。
あれは「ひと」だから従っているのです。そうでなければ従いません。断固拒否されて、依頼お断りしたこともあります。
おっとまたタイトル詐欺になるところでした。
「在るものは在る」だから外せるんです。
むしろ、「これをはずせ」という指示があるってことはまだ自分に「人としての魂がある」っていうことです。
ないもの、と魂が、意識がみなしているものははずせません。
魂もまた「あるものはある」「ないものはない」のです。
よく依頼で「~~の成功心」「~~の妄執」をはずしなさい、という言葉を降ろしますが、
いやだな、そんなのあるのかな、みとめたくないな、と思わず、きつくても内観してみてください。
ああ、あるわーと自分自身が「在る」と理解したものについてははずれていきます。
「ない」とおもえばはずせません。