もらえるものはもらえる。

投稿者: | 2020年2月21日

人の考えること、思うこと、これほとんどが妄想心です。
本当にやらなきゃいけないこと、というのや、やることというのは
別に何も考えなくてもできるでしょう。
本当におなかが減っていたら、なにかしら食べるという行為をしますし
すいてもないのに「食べなきゃ」と思うことも妄想です。

ちょっと例をだしましょう。
誰かちょっとかわいい女のコが自分に対して優しくしてくれて、「がんばってますね」とほほ笑んでくれるとしましょう。
そうすると
「あ、この子もしかして自分のことちょっと気にかかっているのでは?」と思うでしょう
これが妄想心です。
そして、妄想心から、相手にも優しくしようと活躍心をとおされ
どうかなどうかなと気になって、
相手が自分以外の人間にも優しくすると失望し「なんだよ期待もたせて!」といらっとする。
スタートは妄想からでしょう。
相手がどうであれ、自分が相手が好みなら、優しくしたり、相手を口説いたり気になっているということをしっかり伝えて、ダメなら
もらえないもんはもらえない、と引けばいいですし
そこになにも本来は「思う」ということはないのです。
妄想心、というのはいまそのいろいろ「思ってしまう」
考えてしまう、というそれです。

やりたいならやればいいですし
そこでなにか対価を払って「得るものは得る」「ないものはない」のです。

「ある」「なし」というのがとても魂は重要視します。
ないものを無理に求めて、妄執し、尽くし、悪魔の力をつかって、対抗心や活躍心、相手に負けたくないというその荒ぶる推進力をつかって、
得る、というのはできないことではありません。
そのかわり、あとからその「本来もらえないものを得たぶん、そして求めた分」支払わなければならないものがどしんときます。
今の世で支払いきれなかったら、次の世で、払わなければならなければならないものが増えます。
今の世信仰をして、神仏にたくさんいくという場合は、それだけ「支払い」がたまっていると同義です。
徳をつめ!というのはそういうこと。
たくさん支払わなければならないくらい、人と争ったり、ぶつかりあったり、負けないように、もっともっとと求めて
自分を尽くした分、消耗しただけでなく、支払わなければならないものがあるということです。

どうやってももらえるものはもらえる。もらえないものはもらえないのです。
求めて、すっともらえるものはもらえるもの。
人生の延長線上にもらえる、というフラグがたっているのであればもらえます。それが早まることもあるでしょう。
ですが、もらえない、得れない、獲得できないもの、というのはどうやってももらえないのです。
もらえたとしても、その分たくさん払い出しをしなければなりません。
ZOZOの前園さんとか見ていればわかりますね。
たくさん本来得るべきでないものを得て、そしてその分ばらまいてはらわないといけない、そういう衝動にかられ、
彼はこれからもいろいろ「持っていかれる」のです。

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