新年もあけて

投稿者: | 2020年1月24日

新年一発目の投稿がだいぶ時間がたってからになってしまいました。

年末年始のあたりのお話しや、新メニュー等々のご案内やらお伝えしたいこともたくさんありましたが、まあいいや、と流してしまいました。

さて、すこし目先を変えてたまには霊のお話しをしようと思います。

よく、家にいる霊が怖いとか、家の未浄化霊を全部祓いたい、そういう式神がほしい、というご希望がございます。

できないことはないですけれども、少しご一考いただきたいのが

「その家、あるいはそこだけやたらとなにもいない」というのはある意味危険だということです。

そりゃあ霊道の真ん中にどーんとあって、毎日なんらかの霊がやっほーと闊歩しているところであれば、「霊道とじましょう」「そりゃきびしいですね」というお話しをしますけれども、大抵の霊というのはそこまでの悪意はありません。

普通の人間と同じです。

むかしそこにふらっとすんでいたとか、なんだかかわいい女の子がいたからついてきたとか、自分と同じ様な憎しみ、悲しみがあるから、そうそうそうだよね、私もそうなの!と憑いてきたようなものです。

よほどその気持ちや感情がシンクロしているならとにかく、生きている人間というのはいくら悲しんでも、いつまでもその哀しみに浸り続けるのはそうはありません。

霊はそこであるいみ止まっていますから、ずっとおなじ悲しみ憎しみをリピートしますが、人はかわっていく生き物です。心や魂がかわっていけば、いつまでも同じ霊がよっこらしょとはしていません。

さて、そういう霊やらなにらかがまったくいない状態となると、周囲の霊やらなにやらから見ると若干異常です。そこだけが真空状態になっているわけですから

「これはなんなんだ」とばかりにその結界に興味をもつでしょう。

いつまでもそれを維持しているならとにかく、一旦結界がやぶられたら、真空状態になっているところにありとあらゆるものがいっきにはいってくるわけですからまああらあら大変、というくらいになります。

そこだけ真空状態、というのは異常なのです。そこだけやたらとキレイで、ぴっかぴかで、しかも入れない、という状態の場所があって、なんだろうなあ、とおもっているところに、突然そのドアが開いたら「なんだろ?」と興味もって入りたくなりませんか?きれいな雪がふったらそれをふんであとをつけたい、というのはそれこそ雑多な霊ならよくよくあることです。

ある程度風通しよく、入ってくるけどきちんと出ていく、というほうが、実は流れがよくなるもんです。

少々の結界や界を分ける、というのであれば問題ありませんが、「完璧」というのは「目を付けられる」とおもっていただいたほうがいいでしょう。また、そこに友人をまねこうとか、なにか家をみてもらいたいとか、家を売りたい、というのであれば、過剰な結界は逆に人も内見の人もこなくなります。

適度に環境に和合する、というのも大事なことなのです。

霊と共鳴したり、霊と同じ様な悲しみや惑いがあって、霊障がおこるのであれば、時間はかかりますが、自分の中のそういったものをはずしたほうが、楽になりますよ。

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