申し訳ないのお話し

人の中にはそれこそ「数多」の悪魔がいます。

悪魔というのはなにかというと過去にもいくらかかきましたが、運命を作るものであり、満たされないものであり、人と共鳴を通すものであり、罪を通すものであり、人のためにつくられたものです。

とはいってもわかりにくいですから、もうすこし範囲を狭めて話しますと

なにか自分が申し訳ないことをした、正義に反することをした、相手に悪いことをした、相手を待たせてしまった。そういうときに、体が重くなったり、なにかこう、詰まったようになったり、切羽詰まった感じになってイライラしたりしませんか。

悪いことをしたときに、なんだかとてつもなくイライラして、話しかけられると「うるさいな!」と荒ぶる。

忙しそうな相手になにか聞こうとすると、どうもそれをやろうとすると気持ちが重くなって、できなくなる。

仲間の中、自分だけ選ばれて結婚したり、引き立てられたりしたときに、うれしいのはうれしいけれども、なんとなく悪いような感じがしてちょっと重くなる。心の中で言い訳などしたり、ちょっと気を使ってみたり、どうもなんとなくいづらくなってしまう。

飲み会誘われたけれども、ちょっと行きたくない、でも断るのも申し訳ない、とおもったときに胸が重くなる。

そういった経験があると思います。

その「重くなったり」「いづらくなったり」「足取りが重くなったり」「胸が詰まったり」「苦しくなったりする」

それが人の「罪」の重さです。

わるいことをした、申し訳ないことをした、もうしわけない・・・という「悪」があれば、その悪に応じて、その対象とつながり、罪がとおされ、体が重くなります。

 

申し訳ないな、と思った相手とつながって、相手から罪が通ってくるのです。

そのパスを通して罪を通すのが悪魔の働きです。

魂や意識で「これこれこういうことが悪いことだ、申し訳ないことだ」というルールを作っているがため、

その「悪いこと」に応じて罪を通す。

それが悪魔のひとつのお役目です。

「~~すると申し訳ない」「これはもうしわけないこと」という道理、理で魂が縛られ、その縛りに応じて罪も通される。

本来、申し訳ない、ということは慣用句であったとしても、縛られるものではないのです。悪いことをしたら「ごめんなさい」でいいのに

「もうしわけないから」といって縛っているものの多いこと強いこと。

その「~~がもうしわけない」という理を魂からはずし

申し訳ないだろゴラアとばかりに罪を通そうとする悪魔もはずせばそれもなくなります。

なんでいちいち飲み会断るのに申し訳ないとおもっていたんだろうとさっと断れたり、

義理で縛られるということがなくなります。

申し訳ない、というのだけでも人は100以上の縛りを作っています。

縛りがあれば不都合が作られます。はても人というのは不自由なものですね。

 

 

 

余談ですが

最近神様たちが「道理」「理」について話してくれるのですが

これを理解するにも、理解したものを説明するにもとてつもなく難しい。記事としてさらりと書きたくてもどうも長文になってくる。うーん・・・難しいものです。

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