対抗心、というのがいまテーマとして出ています。
対抗心は一つは認められたいという想いから作られます。人が栄えるもとになるものではありますが、運命に蓋を作ってしまうもとにもなります。
あなたは絵をかいていました。画家になりたいなと思い、練習していましたが、あるときとても上手な人を見て衝撃を受けました。
そこで、対抗心が走れば、二つ出てくるものがあります。一つは「あれくらいうまくなってやろう、あれくらい巧みになろう」と奮起する場合。もう一つは「ああ、もうやっても無駄だ」と作品を作る運命自体に蓋をしてしまう場合です。
対抗心がなければ、あなたはその「絵を描きたいな」という想いに蓋をしなくてもよかったかもしれません。
絵だけでなく、自分がやりたい道に、もっと上手な人、才能あふれた人、競技の上手な人がいて、その人を見て、対抗心が走り、蓋をしてしまったかもしれません。
蓋を作る、ということに支配された人は、何をしても、何か自分より上位のものがいて、負けてしまいそうだとおもえば、そこから蓋をしてどんどん運命を閉じていきます。
あれもだめ、これもだめ、自分には何もない…と蓋をしていくのです。
対抗する「心」がなければ、その元になる認められたいという想いが走らなければ、蓋をせずに「うまい人がいるな、でも自分はこれがやりたいし、やりたいことを提供していこう」と人生を彩り豊かにすることもできたかもしれません。
ああ、これやってもだめなんだな、じゃあもう勉強しなくてもいいや、これやってもどうせなあ、と対抗心から蓋を閉めていませんか。そしてその蓋がたまにはずれそうになって「やりたいやりたい」と求めているのに、さらに蓋をし続けていませんか。