違う角度から「悪魔」をみてみる。

さて、「悪魔なんて怖くてしかたない」「悪魔となんて関わりたくない」という人もたくさんいますが、今日は趣向をかえてちょっと西洋の悪魔召喚について真理から考察してみましょう。

ルシファーだの、バアルだのベリアルだの有名な悪魔はたくさんいます。昔昔、女神転生というスーパーファミコンのゲームがありまして、悪魔召喚だの合成だの、わくわくしながら攻略本を見たことを思い出しました。適当に混ぜるとスライムになったり、レベルが足りないと合成できなかったり、今思うと子供には難しすぎるゲーム……話がそれました。

悪魔召喚には有名なところでいうとソロモンの72柱の悪魔がいます。祭壇を整え結界をはり、悪魔を呼び出す儀式を行う、そういうものだったと思います。さて、あの悪魔ですがあれはどこから召喚しているのでしょうか。どこか悪魔界みたいな、魔界みたいなものがあって、そこから引っ張ってきているとでも思います?

あれは自分の中の悪魔引っ張り出しているんです。

自分の中から召喚し、
それを従えているのです。
結界という区切られた中で、自分の中の臓物を見、それに負けずに従えよ、というのが原点にあります。

自分の中の負、見るに堪えないような、他人に対する憎しみや妬み、執着、妄執、欲、そういったものを自分の中から呼び出し、その悪魔を従えるというのが実は悪魔召喚なのです。
それに取り込まれるというのは自分の中の悪魔に負けちゃう、ということですね。また、いくら「この悪魔が欲しい、便利そう」とおもっても、自分の中にいない悪魔なんて召喚できません。天使召喚もそうです。自分の中にないものはないのです。「72柱の●●呼び出したんだけどなんにもおこらなかったよ」というのはよく聞きますが、それは仕方ありません。あなたの中に「ない」か、あるいは自分の中にあるものだとおもっていないから、呼び出せないのです。

悪魔というのは管理されるものです。名前を付けて管理するものです。あれはたまたまその術者が呼び出して「そういった名前をつけた悪魔」なだけです。ソロモンさんは王になるだけあって、それだけたくさんの運命をつくっているのですし、抱えているものも多いわけですから、一般人がまったく全員同じような悪魔を召喚できると思わないことです。ただ、とても嫉妬深いの、欲が深いの。という人はそれなりのものをおもちでしょうから、引っ張り出せるものも大きいでしょう。それぞれの悪魔にはたくさんの軍があるというのもあたりまえです。一つの大きな「嫉妬」などのカテゴリのなかには「才能への嫉妬」「愛の嫉妬」「兄弟への嫉妬」たくさんあるわけですから、悪魔もたくさんです。

たとえば、すごい好きな人がいて、その人が仲良くしている相手に嫉妬して、嫉妬の炎を燃やして
相手からとってやろう!
という人は、その自らの嫉妬の悪魔を従え、自ら抑え、その悪魔を使役するわけです。

自らの嫉妬の悪魔を自らから分離し、従わせ、自分の中から嫉妬心を隔離し、その悪魔をコントロールして、相手に共鳴させ引っ掛ける。この悪魔は自分の中からなくなっているはずなので、自分の中で相手に対する嫉妬心が完全に消えてなければいけません。

あ、もう彼に対して嫉妬しないぞ。そして冷静に彼に意識してもらうようにするのだ。となっていなければそもそも「悪魔召喚」としてはなっていません。

自らの中を見、気づいて引っ張り出して、自らの信仰する上位のものに手伝ってもらい、悪魔を祓って自らのお供にする。これが真理です。

そのあたりの真理が大体すっこぬけているんです。そのあたりのエッセンスはおそらく口伝だったのかもしれません。

自らにとことんむきあって、認め、気づき、そのエネルギーを転化するのが本懐ですし、
気づいて認めて、外して、抑えて、名前をつけて管理する。それが悪魔なわけなのに、自らにあるものを視なければ結局
ただその中身に振り回されるだけなのです。

魔術でも、聖書でも、仏教の経典でも同じことを、違う角度から書いています。
みな、誰かがその真理に気が付き、あるいは降ろしてもらい、実践して「そうなのか!」というのを残しているわけですね。

悪魔は外にいるんじゃないですよ。内から引っ張り出して、外していったり、お供にするものですよ、本来は、というお話しでした。

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