守護しているもののこと

さて、前回の記事の答え合わせからです(ちょっと間が相手しまいましたが…;)。

人が満たされる、とはなにか。それはよくある神秘体験で、ふわふわ幸福に包まれた、などのエネルギー的なものではありません。それはそれで、よい気につつまれたのでしょう、いわゆる「幸福な」「幸福を感じたときの」気につつまれた状態です。それを感じてしまい、スピリチュアルにはまるかたもいらっしゃいますが、エネルギーは技術のようなものですから、そういった「幸福・神秘体験」したことで、自分を特別だ、あるいは他人を特別だと思うことは危険でもあります。それもまた「人に認めてもらいたい」「恵身を求める」という想いや執着からくるものでもありますから、己の中にしか解決先はありません。

はなしが脱線しました、満たされるというのはどういうことかといいますと

「楽にことを為せる」こと です。

欲をすてたり、欲さない、ということではありません。欲は人に与えられていますし、人は食べて生きていく生き物です。衣食住をきりはなして考えることはできません。ただ、人や世の中にまどわされて、つい、買ってしまう、ついまどわされて、これがいいと思い込んで、これしかないと思い込んで買ってしまう、そういうまどわされるものが己の中にあればはずしていけばいよいでしょう。

楽にことを為せる、とは、なにかやりたい、なにか欲しい、なにや経験したい、というときにそれがさらりとできることです。

将来のために今を尽くし、老後、今後のためと自らを尽くしてしまえば、なにかしたいとおもってもためらいが生じます。

どうしても今のパートナー、今の会社が自分の性に合わないのに、それをおもいきれない、次の場所が定まらない。

あのイベントに行きたいのに、なぜかいけない、自分がやりたいと思うことがどうしても邪魔が入る。いろいろなところにいきたいのに、腰が重い。

体の障害や、トラブルはさておき、自分の中であれはだめ、これは無理、あるいは何かの制限がかかって、楽に事をなせないこと、それが満たされない状態なのだそうです。

 

答え合わせだけではなんなので…

今日はもうひとつお話ししましょう。

人には大体何人か守護したり、導いたりしている存在があります。おおよそ前世がらみや、魂の出身からともにあるものもありますし。自らの修行のために憑いているものもあります。おおよそガイドさん、指導霊(?)さんがこれにあたります。普段は本当にみえません。

きわめて人間らしい思考をもってして、その人を導こうとします。つまり、悪いことしちゃいけないよ、こうしようね、というアドバイス、善なるものです。

ですが、正悪について以前すこし触れましたが、正悪は人にはあつかいきれないものです。ガイドしている方も、あつかいきれないものです。その時その時の時代や、属している集団(教会や神道等々)によって、正悪は少々異なります。

たまに過激なものが指導している場合もあります。「此の世は修行の場だ!たくさんひどい目にあって、そこから学べ!」とばかりにわざとしんどく道を選ばせるものもあります。よい報いはたまにだけ、アメと鞭なら鞭ふるう。そういうものもたまにあります。

本人の魂が軽くなっていき、上にあがっていけば、その集団たちもどんどん入れ替わっていきます。重くなっていっても、変わることもあります。

その人の今の状態にあったものがつけられ、変わっていくものです。これらが強いと霊障にあってもまもられたり、悪いエネルギーを防いでくれたり、あるいは家系の因果をうけにくくしてくれたりしますが、弱いとまあ、そういうことです。

無理やり交代させることもありますが、本人に相当したものがつきますから、よほどの過激派だったり、本人に見合わなくても居座りたくているものなどは対処します。まあ、そういう原因があることもありますが、大抵自分の中を軽くしていけば、かわっていくものです。

 

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