思いの根っこにあるもの:正悪

投稿者: | 2019年3月26日

思いが共鳴を起こし、人の運命を作っていく、というお話を下かと思います。

ではその思いがどこからくるのか、最近そのテーマと向き合い、教えていただいております。

人というのは「正悪」を生まれながらにしてもっています。
畜生でなく、人間であるために、正悪が神様から与えられています。

正しいも悪いもわからず人間界にほっぽり出されても、本能のままなんでもしてしまったら、それは人間ではなく畜生とおなじことです。

人が最低限「人間らしくあるため」に正悪は与えられています。

さて、「正悪」というのはなにかといいますと


細かいことはたくさんありますが代表としてとして
・誠実であることが正しい
・清浄であることが正しい、正常であることが正しい
・人に認められることが正しい、認められないことは正しくない

この3つです。
人は生まれてからこの正悪を親、教師、世間、社会、宗教からこれら正悪をインプットされます。
嘘をついてはいけない。悪いことをしてはいけない、誠実に、正常に清浄でなければ「正しくない」のです。
この正悪が人の運命を作っていきます。正しくなければ、認められなければ、清浄(正常)でなければと意識の一番奥底にインプットされるのです。

そして正しくないことをすることにより、人は罪悪感がうまれ、苦しむのですし、正しいことをしようとし、その鎖に縛られます。


そしてその正悪を根っこにして、「思い」がうまれます。

「認められるためにこうなりたい。
 どうして認められないんだ。
 自分はまじめにやっている、誠実にやっているのになんであいつばっかり
 ふまじめだったり、きちんとやらない人が許せない」  などなど

「正悪」にはじまり「思い」が運命をつくり
「役」を作り、「役」に駆り立てられ、それでもうまくいかなければがんばらなくてはと「悪魔」の力を借り
自らの魂を尽くしていきます。

人は「正悪」を根っこにし、そこから「思い」が生まれ、「思い」から共鳴を起こし、同じ思いをもつものと共鳴したり、会社やコミュニティーなどのコロニーに入ろうとし、あるいは入り。
コロニーに入ることによってそのコロニーが統一されるための「同じ思い・意識、カルマ」が通されます。
ただそれだけのことです。
そこにいいも悪いもありません。真理とはただの現象であり、法則のようなものです。

さて、例を挙げるのであれば

「誠実」は家系を続かせる運命をつくります。
誠実、清浄、正常に駆り立てられ、人と結ばれることが正しく、当たり前のことであり、浮気をせずに、自らの血統を残すことが正しいとし、同じ「誠実」を持つものと共鳴します。


「誠実」「清浄」は悪魔と共鳴をおこします。
正しくあろう、自分はまじめにやっているのに、あいつらはなんでこうなんだ!と「誠実さ」「清浄さ」が人を怒りに駆り立てる。正しいはずなのに悪魔が共鳴を起こし、怒りに駆り立てる。矛盾しているでしょう。

人に正悪は扱いきれるものではないのです。扱いきれないのに、持っている。
だからこそ、アダムとイブは善悪の実を食べたことで、エデンを追放されたのです。
正悪をもってしまったがゆえに、もっているのに扱いきれない。扱いきれないからこそ、思いが生じ、思いから共鳴が起こり、共鳴が相性をつくり、
人とつながり、結ばれ、罪がつくられ、とおされていく。

正しいことをしているのに苦しい、どうしていいのかわからない、人と同じ、正常でないことが苦しい、きちんとやっているのにいつも苦しい、そういう方は扱いきれない正悪で苦しんでいるのかもしれません。

根っこの部分ですから、時間もかかるでしょうが、そこまで変わっていきたい、正悪を外していきたいという場合もご相談ください。(思いも役もはずしていくことになりますからそれなりに時間も対価もかかりますので、まずカウンセリングからお入りくださいね)

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